私の中におっさん(魔王)がいる。~黒田の章~
* * *
食事に行く前に連れて行きたいところがあると言うので、大通りを門の方に向って歩いていた。突然のデートに、どぎまぎしている自分がいる。
(まあ、狙いは魔王なんでしょうから、油断は禁物と言いましょうか? 騙されてはいけないぞ、ゆり!)
と、自分にセーブをかけてみる――ものの、繋がれた手につい胸が高まってしまうのだ。だって、クロちゃんって案外手が大きいんだもん。それに指も長くてきれいだし。
「ねえ、別に手繋がなくても良いんじゃないの?」
「なに言ってんの。デートだって、言ったでしょ?」
「デートって言っても、手を繋がないデートだってあるでしょ?」
「……え、なに。デートしたことあるの?」
突然クロちゃんの表情が硬くなった気がした。ちょっと気になったけど、私はその質問に答えたくなくて、ぶすっとしてしまう。
「あんまり答えたくないんだけど」
「ふ~ん」
クロちゃんは合点がいった顔をして、にんまりと意地悪く笑った。
「ないんだね。やっぱり」
「やっぱりって、どういう意味!」
「あははっ! だって顔に出てるんだもん。したことないって」
(また出てたの!? いったい私の顔面ってどうなってるのよ!)
私が自分の表情筋にショックを受けてると、クロちゃんは安堵したような息をついた。
「じゃあ、ぼくが初めてだね」
呟くように言って、微笑む。
思わず鼓動が高鳴った。
「騙そうったって、そうはいかないんだからね!」
胸の高鳴りを隠そうと、わざと意地悪く言うと、クロちゃんは軽く頬を膨らませた。
「失礼だなぁ。そんなつもりないよ! 約束しただろぉ?」
(約束……って、『魔王は私の』宣言の時のか。でもなぁ……クロちゃんは毛利さんと並んで信用が置けないからなぁ)
どっちが信用できないかって言ったら、毛利さんなんだけど。
だってあの人、突拍子もないことしでかすんだもん。キスしたりとか、誘拐したりとか。その点で言えば、クロちゃんはまだ正統派な気がするわ。
ただ、腹黒さではクロちゃんの方が上な気がするんだけどね……。
でも、そういえばあの時、謎の音で気絶しそうになった時、毛利さんって私のこと助けて落馬、ならぬ落竜(?)したんだよね。
案外いい人なのかも……。
「なに考えてんの?」
「ん?」
険のある声がして振向くと、クロちゃんはむすっとした表情をしていた。
「別に、なにも」
「本当?」
あえて言う必要もないと思って言わなかったんだけど、クロちゃんは不審がっていた。
「本当」
「そ!」
私が念を押してみると、クロちゃんは納得いかないながらも、渋々納得したような声を出した。
(なんじゃい、嫉妬かい!)
なんて、からかってみたくなりますな。ありえないと思うけど。
ほくそ笑んでいると、クロちゃんが指を指した。
「ここだよ」
そこは黄色の外壁で、ちょっとばかし高級感が漂っている店構えだった。
「ここ?」
「そ」
クロちゃんは短く答えて私の手を引いた。
店の中に入ると、きれいな女性の店員さんが、「いらっしゃいませ」と、丁寧に頭を下げる。
店員さんの様子と、内装からも高級感がひしひしと伝わってきた。
石壁はきれいに整い、波模様の黒く照りのない鉄の飾りが、壁の上部を一周している。壁沿いに展示された服は、右側が女物、左側が男物だった。
中央には、丸められた反物がきれいに並んでいる。
奥がレジカウンターだろうか。
男性が一人、立っていた。その奥にさらに部屋があるようだった。
こういう造りは、私のいた世界と変わらない。
(なんだか懐かしいな。早く帰れるように、がんばろ!)
「いらっしゃいませ。黒田様」
女の店員さんが近寄ってきて会釈した。
(黒田様? もしかして、クロちゃん常連?)
「本日は何をお探しでしょう?」
「今日はぼくじゃなくて、この子に」
「……私!?」
「自分で選ぶ? それとも見繕ってもらう?」
クロちゃんは私の驚きなんかてんで無視して尋ねてきた。
いや、確かに服は欲しかった。欲しかったけども、こんな高級なとこじゃなくても……。そもそも買ってもらう義理はない。
それに、自分を裏切った人に、買ってもらうというのは、ちょっとした抵抗がある。
(ああ、でもでも、これはチャンスなんじゃないの? 良いんじゃないの、せっかく買ってくれるって言ってるんだし)
利用させてもらうという方向で。
(いや、でもなぁ……。それもどうなのよ。自分より年下にたかるって、どうなのよ?)
プーで、惰眠を貪るしかしてないような身の上で、高級な服を買ってもらうってどうなのよ。しかも年下に。
「ねえ、どうすんの?」
急かすような声音が降ってきて、私は思わず苦笑する。
「あの、私なにも、こんな高級そうなとこじゃなくても……」
「なに言ってんの、今日はデートって言ったでしょ?」
「いや、でも、うん……」
言葉を濁すと、クロちゃんの表情が変わった。
片眉が釣り上がり、不愉快そうだ。
「なに、ぼくに奢られるの嫌なの? 自分を騙してたようなやつに、奢られる義理はないもんね」
「いや、えっと、そういうわけじゃ……」
ぎくりとした。
それも大いにあるところだけど。
肯定は出来ない。もっと怒らせそうだもん。
「そういうわけじゃないなら、良いんだね? ――適当に数着見繕って。速くね」
「ちょ、ちょっとクロちゃん!」
軽く言って、店員さんを急かしたクロちゃんの腕を掴む。すると、彼は私を見下ろした。私より少しだけ背の高いクロちゃんと近い距離で目が合う。
「そもそも、キミが悪いんだよ」
「は?」
いきなり何事?
「ぼくは、必要なら使ってってお金預けてあるのに、いつまで経っても食事しか買ってこないから」
「いや、でもそれはさ……」
「服、臭いよ」
「え!?」
(――本当にぃ!?)
くん、くんと、袖を嗅いでみるけど、じ、自分じゃわからない……。
クサイ臭いをさせながら、町中を歩いてたの!? 図書館のような密室にいたの!?
ごめんなさ~~~~い!
クサイ臭いを撒き散らしてごめんなさいっ!
ああ、恥ずかしい!
穴があったら、入って永久に出てきたくないっ!
「あはははっ!」
(え?)
不意の笑い声に振向くと、クロちゃんがお腹を抱えていた。
「ごめん、冗談!」
「はあ!?」
「臭くないから、全然」
テメッ! 私がどんだけショックだったか!
思わず涙ぐんだほどだったのに!
「ひどいじゃん!」
「だからごめんって」
含み笑い中のクロちゃんの肩を引っ叩く。もちろんグーで。
「痛!」
クロちゃんは小さく叫んで、肩を擦った。
「確かに今のは冗談だけど、一着だけしか持ってなかったら、いずれ本当になっちゃうんじゃない?」
「うっ……」
「だから、今買っておこうって話だよ」
「……うん」
私が頷くと、クロちゃんも、うんと頷いた。
「ねえ、あのさ、じゃあついでにもう一つ頼んで良いかな?」
「なに?」
「私、入国証(ゲビナ)欲しいんだけど、手に入る?」
クロちゃんは「ふむ」と考え込んだ。
「ぼくでも多分、なんとかできるとは思うけど、一番確実なのは翼に頼む事だね」
「翼さんに?」
「そ。あいつ、ああ見えて良いとこのお坊ちゃんだからさ。そういうのは、貴族連中に頼むのが一番害がなくて良いんだ」
「ふ~ん……」
良く分からないけど、何かしらの行政の事情があるのかな? っていうか、貴族とか物語りの中だけじゃないんだぁ……。あれ、翼さんてもしかして……貴族?
「だから、あいつが帰るまでちょっと待っててくれる? 帰ったら多分三日くらいで申請通ると思うから」
「わかった」
私が頷くのと同時に、店員さんが服を持ってやって来た。
「試着する? それとも自分で選びなおす?」
クロちゃんの質問に、私は甘えてみることにした。
「とりあえず、試着して、気に入らなかったら選びなおしても良い?」
「いいよ」
おずおずと切り出した提案に、優しい返答が帰ってきて少し安心した。
入国証が手に入ったら、情報収集しつつ、バイトしよ。
そんで服代を返そう。
そうして、私は新しい服を手に入れたのだ。