私の中におっさん(魔王)がいる。~黒田の章~

 * * *

「ただいまぁ」

 家のドアを開けて、廊下を進むとほわんとした明かりが見えた。
 ランプの光と暖炉の光。
 帰ってから人がいるというのは良いものだなと、最近僅かばかりに思う。

「おかえりなさい」
「?」

 いつも迎えてくれる彼女の声と違う。
 大人びた、女の声だ。

 黒田は、警戒しながらリビングを覗いた。若葉色のソファに浅く腰をかけている女が、ふとこちらへ顔を向けた。
 金髪で緑の眼の女だった。黒田は月鵬を見た瞬間、げんなりした。

「ちょっと、ヒトんちになんでいるわけ?」

 黒田は思いっきり睨みつけた。
 効果がないのは解りきっていたが、不満を出さずにはいれらない。案の定、月鵬は歯牙にもかけずに微笑む。

「谷中様にご招待されたので、甘えさせていただきました」
「甘えんなよ」

 険のある声をわざわざ出したが、月鵬は目を細める事を止めない。黒田はさらにイラついた。

(まるでどっかの風間みたいだ)
 
 黒田は月鵬が嫌いだった。
 どんな人間かなんて知らないし、ろくに話をしたことさえない。だが、嫌いだった。その見た目を見ただけで吐き気がした。

「黒田様に少し、お願いしたい事があるのですが……」
「は!?」

 遠慮がちに出された声音を、黒田は無遠慮に切り捨てる。
 月鵬の頬が僅かに引きつるのが見て、黒田は内心でにんまりした。

「入国証を入れた袋を、あの混乱の中で落としてしまったらしく、屋敷とともに燃えてしまいまして……」
「そ。――で? 入国証なくてここまでどうやってきたの? まさか凛章(ここ)で目が覚めたわけじゃないんだろ?」

「はい。緋梓(ヒシダ)で目覚めました」
「じゃあ、密入したんだ?」
「ええ。まあ……」
「さっすが、元山賊の下で働いてるだけあるよね」

 黒田が嫌味を言ってのけると、月鵬の額に青筋がうっすらと立つ。黒田は面白がったが、それを表には出さず、要求が解らないふりをして肩を竦めた。

「んで、ぼくにどうして欲しいの?」
「入国証の再発行、もしくは書状を書いていただけないでしょうか?」

 黒田はわざと、片眉を上げて怪訝な表情を作ってみせる。

「そうだねぇ……今度ばかりは密入国するわけにはいかないもんねぇ」
「はい。いくら自分の国に入るとはいえ、国境を越えるわけですから、そのような危険は冒せません」
(ふむ)
 黒田は腕を組んで、思案した。

 再発行なら黒田でも容易に行える。だが、月鵬のためにリスクを冒す気はない。
 あの魔王復活の儀式には黒田は彼個人として参加した。国王の支持でもなければ、上官の関知もない。
 入国証の再発行となると月鵬の故郷である岐附に申請書を提出しなければならない。そこには、政府機関のやり取りが生じる。

 魔王復活の儀に参加した者達は、倭和国への渡航は、同盟条約への話し合いということで一致させ、返事は『良好であるが、今回は話し合いのみで帰した』で統一するように事前の密書で決定していた。
 帰国してから国王にそのように話も通してある。
 そこに、月鵬の入国証の再発行となると、面倒が生じる。

 ただの旅行者で済めば良いが、入国の際に名前が記載されてないとまずいし、月鵬が岐附の将軍の側近だというのもまた厄介な事態だった。

 痛い腹でも、痛くない腹でも探りたがる連中というのはどこの世界にでもいるもので、特に文官はねちっこいのが多いし……と、黒田は辟易とした気分で腕を組む。

 もう一つの月鵬の提案である黒田の書状を持って出国するというのも、同じようにリスクが存在した。黒田の名が記された書簡を岐附の女が持っていたとなれば、妙な噂をたてられかねない。

(検問の兵の内々で済めば良いけど、それがあの紫色の眼したクソ男の耳に届くと、またむかつく目に合うしなぁ)と、黒田は面倒くさそうに口を尖らせた。月鵬を一瞥して、そこでふとあることを思い出した。

(……あれ? そういえば、この女……)
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