私の中におっさん(魔王)がいる。~風間の章~

 * * *

 宿屋を出ると、日が昇っていた。
 時刻は四時半あたりだったけど、予想より早く日が出ていた。
 でも、やっぱり早朝。
 人通りはないに等しい。

 遠くの方でちらほらと人影が見られた。
 白衣のような衣を纏っている。永では料理人は生成りの白衣のような服を着ているので、多分あの人達は料理人だろう。
 その人影を追うように歩く。人影の更に先には、小さくなった牌楼が見えた。

「鳥影(うえい)」

 突然聴こえた声に振り返る。
 風間さんは、俯きかげんで歩いていた。風間さんが何かを言った風には見えない。魔王の力が遠くの声でも拾ったかな?
 首を傾げたときだった。

「ピイ!」

 不意に鳥の声が上空から響いた。
 見上げると、大きな鳥が先回している。薄く透ける羽根の模様が鷹に似ている。何気なく見ていると、その鳥は急遽下降してきた。

「え?」

 鳥は速度を増し、私に真っ直ぐに向って落ちてくる。

「きゃ!」

 思わず小さく悲鳴を上げて身を縮める。
 すると鳥は無防備な背中から、あっという間に風呂敷包みを掻っ攫って行った。

「ちょっと!」

 驚きながらも、反射的に鳥を追う。
 鳥は大通りから外れて路地へと飛び去る。
 狭い路地を縫うように走って、百メートル満たないところで、

「穿(ゲキ)!」

 背後から声が飛んで、振り返りざまに黄色い何かが飛んでいく。それは、鞭のようにしなって鳥を打ち落とした。
 鳥は、地面に叩きつけられて息絶えていた。

 鞭は、しゅるりと巻尺に戻されるように引っ込んだ。視線で後を追うと、鞭は風間さんの指の間から出ていた。鞭は、呪符の姿になって消えた。
 私は乱れた息を整えつつ、鳥が銜えていた風呂敷包みを拾い上げる。

「あれは、鷹鳥(ようちょう)ですね」
「鷹鳥?」
「ええ。永国に生息している鳥で、大きな町に住み着き、人から食べ物を奪うことで有名です。今後気をつけましょう」

 そうなんだ。そういえば、昨日も牌楼のところで見かけたような気がする。あのカラスみたいな大きさの鳥は鷹鳥だったんだ。

「はい」

 頷いたけれど、鷹鳥に申し訳ないような気がした。だって、いくら鳥だからって、盗んだからって、死んで良いってことにはならないわけで。せめて、手でも合わせようと地面を見て、私はきょとんとしてしまった。

 さっきまであったはずの鷹鳥の死体が消えてしまっている。
(あれ? 違うところだったかな?)

 私は首を左右に振って、ふと変な気分になる。それは、違和感。目の端で、なにかを捕らえたような気がする。
 とても、悪いなにか。

 視線を僅かに右へずらす。
 建物と、建物の僅かな隙間からなにか。じっと目を凝らして、ぎょっとした。

「――!」

 思わず叫びそうになって、息を呑む。
 ……脚だ。
 人間の脚が僅かな隙間に覗いていた。
 暗い影から、細く、白い脚が投げ出されている。

 女の人の脚だとすぐに分かった。
(……寝てるの?)

 私はそう思い込もうとする。その可能性だって、ないわけじゃない。
 だけど、その脚に血の気はなかった。
 どうしたら良いものか、混乱していると、風間さんが異変に気づいた。

「どうしました?」

 不可解そうに言って、目線の先をなぞる。
 一瞬息を呑む音が聞こえ、風間さんは脚へと駆け寄った。

「……そんな」

 落胆と驚きが混じった声を漏らす。
 まるで、その脚の持ち主を知っているかのような……。

(――知っている?)

 疑心が渦巻く。
 もしかして、まさか、そんなわけ……。

 居ても立ってもいられず駆け出した。
 路地を覗こうとすると、目の前に腕が現れた。
 風間さんの腕だ。

「見ないほうが良い」

 真剣な眼差しで静止する。
 その表情で、この脚が誰なのかが解った。

 でも、確かめたい。
 違っていて欲しい。――違うはずだ。
 私は風間さんの腕を押しやった。

「……」

 頭が、真っ白になった。声をどうやって出したら良いのか解らない。

 そこに横たわっていたのは、積み上げられるように、折り重なっていたのは――貞衣さんと、晴さんだった。

 闇色の瞳に映しだされるものはなく、顎が落ちきり、舌が伸びきる。喉は大きく切り裂かれ、赤黒い肉片が皮膚の中から覗いている。あんなに可愛かった顔が、苦痛で歪んでいるようだった。

 反対に貞衣さんの上に、折り重なるように被さっている晴さんの顔は、頬しか見えず。
 背中から、痛々しく赤黒いものが滲んでいる。血だ。

 どうしよう。
 そのまま崩れ落ちるように、膝が地に付いた。

 うそでしょ。

 うそだと言って。
 誰に対してそんな事を思ったんだろう。
 解らない。でも、私は強く願った。――これがうそだと言って欲しい。

 頬をゆっくりと、涙が伝う。
 いつの間にか、私は泣いていた。

 それを自覚した途端、わっと感情が関を切る。

「うわああ」

 悲鳴を上げて泣き叫ぶ。
 叫ぶ声を、押さえる気がしなかった。

 なんで、どうして。
 どうして、どうして、どうして。

 そんな疑問ばかりが頭に浮かんでは消える。
 不意に腕を掴まれた。
 引っ張り上げられて、力なく立たされる。

「人がきます。行きますよ」

 涙で滲んだ風間さんは、焦っているように見えた。
 ざわざわと、人が何かを言う声が聴こえる。

 警官(サッカン)に事情を聞かれるわけにもいかない。
 風間さんがポツリとそのようなことを言って、私の腕を引っ張った。
 留まろうとする足を、私の腕を強く引くことで、風間さんが動かした。

「――解」

 低い声が、聞こえた気がした。

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