銀の姫はその双肩に運命をのせて
「ここ、どこ!」

 ずいぶん長い間、ディアナは眠っていたような気がした。外は明るい。

「もう起きたのか」

 見慣れない部屋。聞いたことがある、声。ディアナは自分の目をこすって、室内と声の主を探ってみた。

「おはようディアナさん」
「きゃっ!」

 目前に現れたのは、グリフィンのきれいな顔だった。いや、両眼が少し赤く充血している。

「な、なんで私、こんなところで寝、寝てっ」

 確認するまでもない。ここはグリフィンの私室。王子なのに、王子らしい豪華さも贅沢さも感じられない。机と椅子、寝台、書棚や衣装入れなどの実用品だけが、部屋の隅にぽつんぽつんと置いてある。

「覚えてないのか」

 ディアナは体にかけていた寝具を引っ張り上げて顔を半分、隠した。頬が熱い。たぶん、顔が真っ赤だろう。王子に見られたくない。

「覚えて、ません……」
「知りたい?」

 王子はディアナに迫った。

「夜も更けゆくころ、頭から衣をかぶったディアナさまが、俺の起居している厩舎にまっすぐやって来て『私を強く抱き締めて』と懇願するから、ふたりは一夜を共にしたんだ。おかげで、すげー寝不足」
「な……嘘!」

「嘘だよ。あんなひどい仕打ち、冗談でも言わないとやっていけないって。お前さんは、厩舎預かりの身の上になったんだ。思い出せるか」
「厩舎預かり?」

 厩舎預かり。そのことばを頼りに、ディアナは記憶をゆっくりとほぐしはじめた。
 そうだ。昨夜、王太子が毒を盛られて倒れ、犯人ではないかと疑われたのだ。ディアナは、つかんでいた寝具の端を下ろした。

「厩舎に軟禁、ってことですね」
「思い出したな」

「は、はい。助けていただき、ありがとうございました。あの場にあなたがいらっしゃらなかったら、問答無用で処刑されていたかもしれません。ですが、私などをかばってしまい、王子はだいじょうぶですか」
「場の雰囲気だけでディアナを処罰していたら、銀の国といくさになったさ。ルフォンに国力はあるが、今はまずい。それに、王太子の容体が近隣に漏れることだけは、避けたい。あんな状態が知られたら、他国が一気に攻めてくる」

「そうよ! 王太子さまは。王太子さまの御身は、だいじょうぶですか?」
「矢継ぎ早に訊くな。お前は命の恩人に、礼のひとつもできないのか」
「礼? お礼なら、もう言いましたよ」

 そのほかに渡せるものなんて、ない。ないはずなのに……まさか。

「あるだろ」

 不意討ち。またしても、ディアナはグリフィンに唇を奪われた。互いの唇と唇とかごく軽く重なっただけなのに、ディアナの体には嵐が通り抜けた。キールと結婚してくれなどと言いながら、からかうのはやめてほしい。

「お、王子っ! ふざけるのは、いい加減にしてくださいっ」
「ふざける? ああ、もっと本気で、濃密な口づけがほしいのか。意外と、ディアナは大胆だな。ご希望とあらば、また寝台に横になっていただいてもいいぜ。どこまで俺の理性が持つかどうか保証はできないが」
「グリフィンっ」

 おなかの底から絞り上げるような大声を出したせいか、ディアナは空腹に気がついた。次なることばを発しようと息を吸ったところで、燃料切れ。罵声は吐息に変わった。

「スミマセン王子、おなか、空きました……」

 正直なディアナの態度に、グリフィンは笑い出した。

「ああ、朝餉を用意しよう。食べながら、話の続きをしようか」

 とっても失礼な感じだが、ディアナは耐えた。

「お願いします」

 パンと牛乳、それに野菜とチーズの入ったバスケットを、部屋からいったん消えたグリフィンが自ら運んできた。

「朝というより、昼に近いからな、炊事場にもたいしたものはなかったが」

 しかも、グリフィンが作ったらしい、バスケットの中身。王子が作ると知っていたならば、自分で取りに行ったのに。

「さっそく、いただきます。あの、ご自分の身の回りのことは、いつもご自分だけでなさるの?」
「まあ、だいたいは。俺専属の従者、っていうのは置いていないんでね。先日、遠乗りで出かけたコンフォルダ宮殿からルフォン城に移動するとき、皆整理したんだ。どうしても人手が必要なときだけは、厩舎の人間の手を借りている。ちょうど、今の時間は馬たちの朝の稽古やら食事やらが済んで、厩舎のやつらは仮眠中だからね。休んでいるところを叩き起こして、姫の食事を作らせるわけにはいかないだろ」

「ありがとう、ございます。グリフィンも、仮眠、したいですよね。一晩、寝ていないですよね」
「俺のことは心配いらない。一晩ぐらいなら。もし、いくさに出たら、寝られない状態なんて二晩、三晩はざらに続くだろうし。それとも、俺と一緒に寝てくれるのかな、ディアナさまが」
「寝ませんっ。それより、王太子さまのご様子は」

「こんな状況で、人の心配ばかりか。自分だって危機的立場にいることを忘れるなよ」
「は、はい」

「……結論から述べると、王太子はまだ昏睡している。打つ手もなく、ただ寝かされている、と言ったほうが正しいかな」

「私の薬は? 私が王妃さまに託した薬は、使っていないのですか」
「薬は、目下調査中だ。他国の姫、しかも毒を盛ったという嫌疑のかかっているディアナから頂戴した薬を、はいそうですか。では、とすぐに投薬できるはずがない」
「そんな。猶予ならないのに」

「皆、分かっている。危険を承知でも、一縷の望みに賭けたい気持ちは一緒だ。今のところ、ディアナの薬から毒性の成分は一切見つかっていない。ただ」
「ただ?」

「我が国の薬師には、すべてを分析できないらしい。それがひっかかっていて、薬を使うかどうか、迷っている。銀の国のほうが、医学は発達しているということだな。それに、王太子妃が強硬に、薬の使用を反対している。自分の愛で治してみせるだのなんだの、あやしげな祈祷を行っているよ」

「王太子妃さまが、反対……説得できませんか? 私、あのお方とお話したいです。王子、取り持ってくれませんか」
「無理無理。俺、あのお妃さまには、以前から目の仇にされているんだ。王太子の座を脅かす、もっとも危険な存在だからな、第二王子は」

 あまり食の進まない話題だった。自分でお願いしたとはいえ、ディアナの手は止まりがちになる。

「……散歩、するか」
「は?」

「散歩だよ、散歩。外のいい空気でも吸いに行こう。午後になると、俺は軍の調練があるから、ディアナのお守りができないんだ」
「お守り……私は赤ちゃんですか」
「似たようなものだろ。今は特に。手も足も出ない、赤ちゃん」

「外に出ても、いいのですか。一応、王太子毒殺の疑いがかけられている身です」
「裏山まで、少し登るだけだ。バスケット、持って行けよ。こっちのは、ディアナの侍女の分。藁部屋に置いて来い」

 そうだ、アネット! ディアナは自分に与えられた部屋に戻り、藁の山を窺った。侍女のあネットも、昨夜の騒動に姫が巻き込まれ、気の休む暇がなかったはずだ。

「よく……寝ていますね」
「あっちもこっちも寝不足だ。今は休息させておけ。いつ、戦いがはじまるかも分からない」

 ディアナはバスケットの中に『グリフィンと裏山にいる』と置き手紙を残してから靴を履き、外へ出た。
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