銀の姫はその双肩に運命をのせて
荷物をまとめて、賓客室から厩舎へ移動したのは夜明け近かった。
しらじらと明けゆく空。今日も晴れるだろう。
けれど、状況は最悪の状況だった。
「ディアナさまが、王太子さまの暗殺者に仕立てあげられるなんて。そんなの、あんまりですわ」
泣きじゃくっているのは、侍女のアネット。一晩泣き続けても涙は涸れず、すでに目が真っ赤、しかも腫れあがっている。
「だいじょうぶよ、アネット。すぐに疑いはなくなるでしょう。要人を暗殺しようとした人間が、解毒の薬をすぐに渡すなんて、そんなこと普通はありえないもの」
「おことばを返すようですが、ディアナさま。一国の姫さまがこのような場所で起居するなんて、聞いたことがありません。毎晩、藁に包まれて寝るだなんて」
「グリフィンはそういう生活らしいわ、ずっと。あまりできない体験、楽しみ」
ディアナはあっさり開き直っているが、アネットは割り切れないようだった。
「グリフィンさまは、相当変わっていると、いつもディアナさまがおっしゃっているじゃありませんか、あのお方と同じ暮らしなんて無理です。銀の国に使いを出して、早く帰りましょうよ。こんな国、一日だって長くいたくない」
王太子の部屋から、グリフィンはディアナの護衛となり監視となり、ずっと張りついていた。ディアナに厩舎の一室を割り当てたところで、ようやくいなくなった。馬の、朝のお世話に追われているらしい。
厩舎、というだけに、ここはほとんど屋外だった。
藁の保管部屋らしく、部屋の四隅に藁が高く積まれていた。
風よけとなる壁と屋根はついているが、卓も寝台もなく、大好きなお茶も気軽に飲めない。がらんとした空間には、扉すらついていない。
部屋にあるのは、鉄格子。鍵はかけないというので、水場への出入りは黙認されたが、不便が強いられることは確実。
隣の馬房には馬がいる。生き物のにおいがしてきて、慣れない環境だった。
「ディアナさま、これからどうやって着替えましょう?」
「藁の中、かしら」
滂沱の涙にむせているアネットは訴える。
「国に、手紙を出して助けを呼びましょう。私の力では、どうしようもありません、ううっ」
「だいじょうぶよ、ほんの数日の我慢。手紙なんて、ここから書いても出せない、きっと。さっきも言ったけど私、ちょっと楽しみなの。ここの生活」
「はぁ?」
「厩舎生活、グリフィンは楽しそうだもの。王子はいつも身綺麗だし、だいじょうぶよ」
「けれど年ごろ娘ざかりのディアナさまが、このように防犯のかけらも感じられない場所に、いらっしゃるなんて。あんまりです。隣の小国とはいえ、れっきとしたお姫さまともあろう御方に、ひどい仕打ちです」
「向かい側がグリフィンのお部屋なんだから、なにかあったら助けを乞えばいいの」
「ですが。あの王子は馬が第一で、いざというときは」
「平気。夜営みたいなものよ」
アネットはまだまだ不平を述べたい顔をしていたが、ディアナは黙らせた。
「それより眠くて。少し休む。あなたも寝なさい」
ディアナは日の当たっていた藁に、頭から突っ込んだ。お行儀が悪いのは承知の上。だが、ディアナはくたくたに疲れている。
「あっ、あったかい。ふかふかだよ」
まるで母さまの胸の中のよう。子どものころに戻ったみたい……ディアナは藁の中で眠りに落ちた。
主たるディアナが『寝なさい』と言ったからとはいえ、ディアナを守る者はアネットのほかにはいない。もちろんアネットも一睡もしていなかったが、ディアナの足元にうずくまって、ディアナの安眠を見張りはじめた。
「はっ。お役目大事、お役目大事」
アネットはうっかり閉じそうになる瞼と必死に戦った。自分までも寝てしまったら、ディアナを守れなくなる。ディアナを守る人間は、自分ひとりなのだ。
「いけない、いけない」
うとうとすること何度目か、扉代わりの鉄格子を押して入ってくる人物がいた。
「ディアナはどうした」
グリフィンだ。すっかり藁に包まれていて、ディアナの姿が見えないから心配したのだろう。
「あの、お休みです。藁の寝台が、お気に召したらしくて」
王子は藁の中に埋もれたディアナを見つけ、頬をゆるませた。藁に埋もれても長く流れる髪はうつくしく、白い肌によく映える。微笑さえたたえながら、ディアナは眠りこけている。
「かわいい寝顔だな」
「はい! それはもう」
アネットは愛するディアナを肯定されて勢いを増した。
「こんな場所で驚いただろう。馬房のほかに、ましな場所とはいえば、藁部屋ぐらいで。あとで寝台や衝立ても運んでやる。必要なものがあったら言ってくれ。王太子妃はここまで来ない。ただし、火の扱いは禁じているから、暖房は勘弁な」
「お気づかい、ありがとうございます」
さんざん、ディアナが馬好きの変態王子だと言っていたから、アネットはグリフィンのやさしさに驚きつつも、深く感謝した。
「ディアナが寝ている間、お前も休め」
「ですが、ディアナさまを守る者がいなくなります」
「じゃあ、ディアナは俺が見る。ゆっくりしろ。ここでは、ディアナの世話はお前にしかできない。お前が倒れでもしたら、ディアナはひとりになる」
遠慮なく、グリフィンは眠るディアナを抱き上げて自分の部屋に連れていってしまった。アネットは追いかけようとして一歩、足を前に踏み出したが思い止まった。グリフィンに抱かれたディアナは起きることなく、王子の胸に頭をもたれてよく寝ていた。
声をかけるのが、ためらわれた。
まるで切り取られた一枚絵のように、似合いの男女だったからだ。
アネットも疲れていた。おまかせして、いいかもしれない。アネットは藁の中にどっと倒れ込んだ。
しらじらと明けゆく空。今日も晴れるだろう。
けれど、状況は最悪の状況だった。
「ディアナさまが、王太子さまの暗殺者に仕立てあげられるなんて。そんなの、あんまりですわ」
泣きじゃくっているのは、侍女のアネット。一晩泣き続けても涙は涸れず、すでに目が真っ赤、しかも腫れあがっている。
「だいじょうぶよ、アネット。すぐに疑いはなくなるでしょう。要人を暗殺しようとした人間が、解毒の薬をすぐに渡すなんて、そんなこと普通はありえないもの」
「おことばを返すようですが、ディアナさま。一国の姫さまがこのような場所で起居するなんて、聞いたことがありません。毎晩、藁に包まれて寝るだなんて」
「グリフィンはそういう生活らしいわ、ずっと。あまりできない体験、楽しみ」
ディアナはあっさり開き直っているが、アネットは割り切れないようだった。
「グリフィンさまは、相当変わっていると、いつもディアナさまがおっしゃっているじゃありませんか、あのお方と同じ暮らしなんて無理です。銀の国に使いを出して、早く帰りましょうよ。こんな国、一日だって長くいたくない」
王太子の部屋から、グリフィンはディアナの護衛となり監視となり、ずっと張りついていた。ディアナに厩舎の一室を割り当てたところで、ようやくいなくなった。馬の、朝のお世話に追われているらしい。
厩舎、というだけに、ここはほとんど屋外だった。
藁の保管部屋らしく、部屋の四隅に藁が高く積まれていた。
風よけとなる壁と屋根はついているが、卓も寝台もなく、大好きなお茶も気軽に飲めない。がらんとした空間には、扉すらついていない。
部屋にあるのは、鉄格子。鍵はかけないというので、水場への出入りは黙認されたが、不便が強いられることは確実。
隣の馬房には馬がいる。生き物のにおいがしてきて、慣れない環境だった。
「ディアナさま、これからどうやって着替えましょう?」
「藁の中、かしら」
滂沱の涙にむせているアネットは訴える。
「国に、手紙を出して助けを呼びましょう。私の力では、どうしようもありません、ううっ」
「だいじょうぶよ、ほんの数日の我慢。手紙なんて、ここから書いても出せない、きっと。さっきも言ったけど私、ちょっと楽しみなの。ここの生活」
「はぁ?」
「厩舎生活、グリフィンは楽しそうだもの。王子はいつも身綺麗だし、だいじょうぶよ」
「けれど年ごろ娘ざかりのディアナさまが、このように防犯のかけらも感じられない場所に、いらっしゃるなんて。あんまりです。隣の小国とはいえ、れっきとしたお姫さまともあろう御方に、ひどい仕打ちです」
「向かい側がグリフィンのお部屋なんだから、なにかあったら助けを乞えばいいの」
「ですが。あの王子は馬が第一で、いざというときは」
「平気。夜営みたいなものよ」
アネットはまだまだ不平を述べたい顔をしていたが、ディアナは黙らせた。
「それより眠くて。少し休む。あなたも寝なさい」
ディアナは日の当たっていた藁に、頭から突っ込んだ。お行儀が悪いのは承知の上。だが、ディアナはくたくたに疲れている。
「あっ、あったかい。ふかふかだよ」
まるで母さまの胸の中のよう。子どものころに戻ったみたい……ディアナは藁の中で眠りに落ちた。
主たるディアナが『寝なさい』と言ったからとはいえ、ディアナを守る者はアネットのほかにはいない。もちろんアネットも一睡もしていなかったが、ディアナの足元にうずくまって、ディアナの安眠を見張りはじめた。
「はっ。お役目大事、お役目大事」
アネットはうっかり閉じそうになる瞼と必死に戦った。自分までも寝てしまったら、ディアナを守れなくなる。ディアナを守る人間は、自分ひとりなのだ。
「いけない、いけない」
うとうとすること何度目か、扉代わりの鉄格子を押して入ってくる人物がいた。
「ディアナはどうした」
グリフィンだ。すっかり藁に包まれていて、ディアナの姿が見えないから心配したのだろう。
「あの、お休みです。藁の寝台が、お気に召したらしくて」
王子は藁の中に埋もれたディアナを見つけ、頬をゆるませた。藁に埋もれても長く流れる髪はうつくしく、白い肌によく映える。微笑さえたたえながら、ディアナは眠りこけている。
「かわいい寝顔だな」
「はい! それはもう」
アネットは愛するディアナを肯定されて勢いを増した。
「こんな場所で驚いただろう。馬房のほかに、ましな場所とはいえば、藁部屋ぐらいで。あとで寝台や衝立ても運んでやる。必要なものがあったら言ってくれ。王太子妃はここまで来ない。ただし、火の扱いは禁じているから、暖房は勘弁な」
「お気づかい、ありがとうございます」
さんざん、ディアナが馬好きの変態王子だと言っていたから、アネットはグリフィンのやさしさに驚きつつも、深く感謝した。
「ディアナが寝ている間、お前も休め」
「ですが、ディアナさまを守る者がいなくなります」
「じゃあ、ディアナは俺が見る。ゆっくりしろ。ここでは、ディアナの世話はお前にしかできない。お前が倒れでもしたら、ディアナはひとりになる」
遠慮なく、グリフィンは眠るディアナを抱き上げて自分の部屋に連れていってしまった。アネットは追いかけようとして一歩、足を前に踏み出したが思い止まった。グリフィンに抱かれたディアナは起きることなく、王子の胸に頭をもたれてよく寝ていた。
声をかけるのが、ためらわれた。
まるで切り取られた一枚絵のように、似合いの男女だったからだ。
アネットも疲れていた。おまかせして、いいかもしれない。アネットは藁の中にどっと倒れ込んだ。