密偵をクビになったので元主のため料理人を目指します!
 あの人のことを邪険に扱い、悪態をついた自覚はある。それなのに最後まで私を見捨てずにいてくれた。出会った時から、ジオンはちっとも変わらない。そんなジオンだから私もつい、気兼ねのない態度を取ってしまう。年上の男性だというのに同じ目線で腹を立ててしまうのだ。
 過ぎた日々を思い返しても懐かしさに苦しむだけだとわかっている。今日からはここが私の生きる場所、まずは皮剥きという任務を立派に遂行してみせよう。

「あんた皮剥き上手ねえ!」

 黙々と仕事に励んでいれば様子を伺いに来た先輩に褒められた。
 料理はからっきしの私でも、厨房で働くことは初めてではありませんからね。
 密偵時代に何度も経験してきた職務である。屋敷に潜入するのなら使用人として潜り込むのが一番てっとり早く、特に厨房はおすすめだ。
 多くの貴族屋敷を渡り歩いてきた私にとって、すでに皮剥き皿洗いは達人の領域だ。
 私の皮剥きは手元を窺う必要はない。そしてひとたび皿を洗えば物音一つ立てることなく洗い物を終えるだろう.手だけを正確に動かし、意識は室内に集中させる。仕事をしながら会話を探るために得た技術だ。
 そうして集めた情報は数知れず。上達した分だけ仕事が早く終わり、有意義な情報収集に当てることも出来るだろう。
 ナイフの扱いは身を守る術としてジオンに教わった。もともと刃物に対する親しみがあったのかもしれない。

 まあどれだけ胸を張ったところで肝心の料理の方は初心者なんですけどね……。

 過去を悔やんでも仕方ない。これから学んでいけばいいことだと自分を励ましていた。
 無論、皮剥きだけで終えるつもりはない。ここからのし上がってみせましょう!
 てきぱきと手を動かしながら、私は標的へと意識を集中させる。

「――っなんだ!? この寒気は……」

 私の視線を受けた料理長は大きく身震いする。その瞬間さえ見逃さず監視、もとい観察を始めていた。
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