密偵をクビになったので元主のため料理人を目指します!
 厨房で働くこと数日。休憩時間になると広い裏庭の隅で膝を抱えるのが私の日課となっていた。

 メイドたちはいつもと変わらず慌ただしく働いている。
 護衛の兵士も目を光らせている。
 厨房はとても賑やかで、日が落ちるまで油の跳ねる音や食器の立てる音が鳴り止むことはない。
 大臣たちは足早に職務をこなし、主様もまだ城にいる。

 それなのに、やけに静かだと感じてしまう。周囲の賑わいから、自分だけがが置き去りにされているような気がする。あの人の存在が欠けてしまった胸には、ぽっかりと穴があいていた。

「さみしい……」

 早くも零れた弱音に耳を疑う。これが寂しさだと、この世界に生まれ変わって久しく使っていなかった言葉を思い出していた。
 どうやら私は自分でも気が付かないうちに、随分と賑やかな生活に身を置いていたらしい。

 思えば主様に引き取られてから、寂しさとは無縁だった。
 仕事が出来る年齢になるまではひたすら己を鍛えることだけを考えていた。
 そばには口うるさいジオンがいて、望めば主様に会うことも叶った。
 あの人の役に立てる。その実感が私を突き動かしていた。
 任務で長くおそばを離れることはあったけれど、主様に必要とされている、その絶対が心の支えとなっていた。

 でも、今は?

 確かなものは何もない。
 同じ城内にいるのだから、遠くにお姿を見かけたこともある。でも私は、ただの厨房勤務。たとえ元専属の密偵だったとしても、それは主様とジオンしか知らない秘密だ。表立って主様に話しかけることは許されない。
 こんな時、友達が一人や二人でもいれば違ったのかもしれない。でも私には、この世界に友達の一人もいない。
 言い訳がましいかもしれないけれど、こんな職業だからこそ人と関わることは最低限に済ませていた。
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