密偵をクビになったので元主のため料理人を目指します!
 満足のいく答えであるはずなのに、胸が軋むのはだおうしてだろう。望んでいた答えであることが嬉しいはずなのに、勝手に傷ついているなんておかしい。
 主様のそばにいられたせいで、自分が特別な人間だと錯覚していたのだろう。おそばから離れて、自分はどこまでも平凡な人間だと思い知らされるばかりだ。

「その人のことも、そばに置きましたか?」

「俺の密偵になりたいなんて言い出す子は、サリアくらいだと思うけど」

「そんなことは……」

「あるよ。仮にいたとしても、これだけは断言出来る。密偵として誰より俺の役に立ってくれるのはサリアだけだ」

「主様……」

 その言葉にどれほど救われただろう。溢れそうな涙を見られないように視線を逸らしたまま告げる。

「ありがとうございます! 嬉しいです、とても……そのお言葉だけで私は、この先どんな困難も乗り越えられます!」

「大袈裟だな、サリアは」

 すぐ傍で笑い合える。この距離が愛おしい。たとえこの想いが報われないとしても、何か一つだけでも主様の一番になれたのだから。この幸福を胸にあれば、私はどんな困難にだって立ち向かえる。

「ああ、それともう一つ。あまり兄上を責めないでやってくれないか。あの人もあの人なりに大変なんだよ」

 主様には申し訳ないけれど、前言撤回させていただこう。それは難しいと。

「それは……そうかもしれませんが……」

 食事の席でも主様は気にしていない様子に思えた。だとしても本当に悔しくはないのですか?
 私はこんなにもセオドア殿下が憎いのです。少し思い出しただけでも激しい憎しみがこみ上げるほどに。
 それなのに主様は責めずに、許せと言うのですか? 
 もちろん理解はしています。第一王子としての重責がどれほどのものであり、あの人はその期待に見事応えて見せたのだと。その姿を不本意ながらも密偵である私は目にしてきました。
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