密偵をクビになったので元主のため料理人を目指します!
「あんた、良い人に雇われていたのね」

「え?」

 私は何も口にしてはいない。なのにどうしてそんな話になったのか。

「雇い主を思い出してそんな風に優しい表情をするなんて、あたしには考えられないわ」

 思わず顔に手を当ててしまいそうになる。表情を変えたつもりはないのに、女性の口調は確信めいていた。

「これはあたしの勝手な妄想だけど、多分あんたもあたしと同じ密偵よね」

 同じ職業柄、通じるものがあったのでしょうか。実は私も感じていたところです。

「あの人からだいたいの話は聞いたけど、ルイス様ってのは随分とあんたのことを大切にしてたのね」

 まさか主様の名前が上がるとは思わなかった。
 はい。確かに主様は素晴らしいお方です。でも貴女なんかに教えてはあげません。主様の素晴らしさは、今は私の胸にだけ秘めておけばいいのです。

「おっしゃることの意味がわかりません。先を急ぎますので失礼させていただきます」

 丁寧にお辞儀をして会話を終わらせる。
 私の反応は女性にとっては意外なものだったらしい。主様の名前を出せば私が取り乱したり、慌てたりすると思ったのでしょう。残念でしたね!
 下手に反論しては相手のペースにのまれるだけということは、不本意ながらジオンにからかわれる日々で嫌というほど学習しています。
 そっけなく答え、私は足を進める。背後からは物言いたげな視線が刺さったままだ。

「ふうん……まあいいわ。またね、サリア」

 私を監視するような人とはもう会いたくないですよ!
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