お忍び王子とカリソメ歌姫
翌日は幸い、時短営業であった。バーでも大々的に行われたはずであるクリスマスイベントも終わって、つかの間の休息。
とはいえ、数日すればニューイヤーパーティーに向けて遅くまでの営業となる。三十日から二日までは朝まで営業。歌いっぱなしではないとはいえ、数時間おきに歌が挟まれるために、歌姫であるサシャはバーに居続けることになる。
夜を徹して仕事ということになるので今から少々気が重い。たとえ歌うのが、歌姫の仕事が嫌などではなかったとしても。
しかしサシャにとってはこれが日常なのだ。あのお城であったように、綺麗で最高級のドレスを着て王子様にエスコートされて、というのは一夜の夢。もう終わったことなのだ。今、この小さなバーで薄っぺらなドレスもどきを着て歌を歌うのが現実なのである。
しかしそんなことを考えても仕方がない。目の前の現実がすべて。
バー自体が休業となる、年明けの数日。今年は多分、三日ほど連続の休みがあるはず。その期間でそれまでの疲れを癒すためにゆっくり眠ったり、自分でもニューイヤーをお祝いするためになにかお出かけでもしようかと、それを楽しみに働くことになりそうである。
午前十一時には閉店となり、サシャはほっとしてバックヤードへ入った。
「お疲れ様」
仕事の終わったサシャにマスターがねぎらいの言葉をくれた。
「これから忙しいと思うが、風邪なんか引かないようにね」
それはサシャを気遣ってくれているのではなく、仕事に穴をあけるなという意味であるのはわかったので、サシャはにこっと笑って、「ありがとうございます。気をつけます」と言っておいた。
歌姫は喉が命。風邪を引いては仕事にならない。それに、無理をおして働くのは自分がつらい。
ミルヒシュトラーセ王家のクリスマスパーティーの緊張や疲れが出て体調を崩さないとも限らなかったので、意識してあったかいものでも食べてしっかり眠らないと、と思う。幸い学校はもう冬休みなので、プライベートの時間はたっぷり眠ることができる。
体をあたためておくために、明日、生姜やネギを買い込んでおこうかしら。確か、風邪の引きはじめや予防に生姜のお茶やネギのスープがいいとか聞いたような……。
考えながら着替えとメイク落としをして、しっかりコートを着込んだ。「お疲れ様でしたー」とスタッフたちに挨拶をして外に出て、そこでどきりとした。
「……こんばんは」
そこにはロイヒテン様……ではなく、『シャイ』が居たのだから。髪を下ろして、服も普段着。庶民の着るようなもの。カフェは当たり前のようにとっくに営業時間が終わっているだろうからカフェウェイターの制服ではない。カフェが閉店してからだろうか、待たれていたらしい。
パーティーであのようなことがあって、そのまま別れたのだ。大変決まり悪げな様子をしていた。
「……シャイさん」
サシャは彼の名前を口に出し、そこではじめて、この名で彼を呼ぶのは久しぶりだということに気付いてしまう。
「ごめんね。たくさん手伝ってもらったのに満足に挨拶もできずに帰らせることになってしまって」
「いいえ。お、……おうちのほうがお忙しかったのでしょう」
王室、と言いかけて『おうち』にしておく。このようなところで、誰が聞いていないとも限らない。
「そうなんだけどさ。……どうも。色々残る別れかたになっちまって」
今はおろしている黒髪をくしゃくしゃと掻き乱して、シャイは言った。
「ちょっと、散歩でも出来ないかな」
すぐにわかった。
あのとき言われかけた言葉の続きだ。サシャはごくりと唾を飲んだ。
あのとき、欲しいと思ったもの。
きっと今、聞かせてもらえる。
疲れはあって、早く休みたい気持ちはあったものの、心をすっきりさせたい気持ちも確かにあった。迷うことなくサシャは心の浄化を取ることにして、「ええ」と答えたのだった。
とはいえ、数日すればニューイヤーパーティーに向けて遅くまでの営業となる。三十日から二日までは朝まで営業。歌いっぱなしではないとはいえ、数時間おきに歌が挟まれるために、歌姫であるサシャはバーに居続けることになる。
夜を徹して仕事ということになるので今から少々気が重い。たとえ歌うのが、歌姫の仕事が嫌などではなかったとしても。
しかしサシャにとってはこれが日常なのだ。あのお城であったように、綺麗で最高級のドレスを着て王子様にエスコートされて、というのは一夜の夢。もう終わったことなのだ。今、この小さなバーで薄っぺらなドレスもどきを着て歌を歌うのが現実なのである。
しかしそんなことを考えても仕方がない。目の前の現実がすべて。
バー自体が休業となる、年明けの数日。今年は多分、三日ほど連続の休みがあるはず。その期間でそれまでの疲れを癒すためにゆっくり眠ったり、自分でもニューイヤーをお祝いするためになにかお出かけでもしようかと、それを楽しみに働くことになりそうである。
午前十一時には閉店となり、サシャはほっとしてバックヤードへ入った。
「お疲れ様」
仕事の終わったサシャにマスターがねぎらいの言葉をくれた。
「これから忙しいと思うが、風邪なんか引かないようにね」
それはサシャを気遣ってくれているのではなく、仕事に穴をあけるなという意味であるのはわかったので、サシャはにこっと笑って、「ありがとうございます。気をつけます」と言っておいた。
歌姫は喉が命。風邪を引いては仕事にならない。それに、無理をおして働くのは自分がつらい。
ミルヒシュトラーセ王家のクリスマスパーティーの緊張や疲れが出て体調を崩さないとも限らなかったので、意識してあったかいものでも食べてしっかり眠らないと、と思う。幸い学校はもう冬休みなので、プライベートの時間はたっぷり眠ることができる。
体をあたためておくために、明日、生姜やネギを買い込んでおこうかしら。確か、風邪の引きはじめや予防に生姜のお茶やネギのスープがいいとか聞いたような……。
考えながら着替えとメイク落としをして、しっかりコートを着込んだ。「お疲れ様でしたー」とスタッフたちに挨拶をして外に出て、そこでどきりとした。
「……こんばんは」
そこにはロイヒテン様……ではなく、『シャイ』が居たのだから。髪を下ろして、服も普段着。庶民の着るようなもの。カフェは当たり前のようにとっくに営業時間が終わっているだろうからカフェウェイターの制服ではない。カフェが閉店してからだろうか、待たれていたらしい。
パーティーであのようなことがあって、そのまま別れたのだ。大変決まり悪げな様子をしていた。
「……シャイさん」
サシャは彼の名前を口に出し、そこではじめて、この名で彼を呼ぶのは久しぶりだということに気付いてしまう。
「ごめんね。たくさん手伝ってもらったのに満足に挨拶もできずに帰らせることになってしまって」
「いいえ。お、……おうちのほうがお忙しかったのでしょう」
王室、と言いかけて『おうち』にしておく。このようなところで、誰が聞いていないとも限らない。
「そうなんだけどさ。……どうも。色々残る別れかたになっちまって」
今はおろしている黒髪をくしゃくしゃと掻き乱して、シャイは言った。
「ちょっと、散歩でも出来ないかな」
すぐにわかった。
あのとき言われかけた言葉の続きだ。サシャはごくりと唾を飲んだ。
あのとき、欲しいと思ったもの。
きっと今、聞かせてもらえる。
疲れはあって、早く休みたい気持ちはあったものの、心をすっきりさせたい気持ちも確かにあった。迷うことなくサシャは心の浄化を取ることにして、「ええ」と答えたのだった。