腹黒王子の初恋
 どこ行ったんだろう。一人になれるところなんて会社にそうそうないけど。その時、ある場所が浮かんだ。


 扉を開くと薄暗い空が広がっていた。雨でも降りそうな浮かない空。12月に入ってめっきり寒くなった。私と泰晴のサボる秘密の場所。その壁沿いにひざに顔をうずめて小さく座っていた。

「…文月くん…?」

 控えめに声をかけるとびくっと小さく震えた。

「…なんで来たんですか。」

 顔も上げずに言った。おだやかなゆうきゅんからは想像できないくらい低い暗い声で。

「…心配で…」

 思わず来たけど何て声掛けたらいいかわからない。

「ははっ。俺は優芽ちゃんにも心配されて。なさけない。」
「……」
「こんな姿優芽ちゃんだけには見られたくなかたのに。何で来たんですか。」
「…ごめん」

 ゆうきゅんの冷たい言葉が胸にささる。私はどうしたらいいかわからずゆうきゅんの隣に座った。

「……」
「…あのね。確かに文月くんがミスしたけど、確認しなかった泰晴も悪いよ。会社っていうのはチームプレーだから。みんなで確認していくのが大事だから。」
 
 私はゆっくり控えめに話し出した。

「わかってますよ!でも、誰一人俺を責めないんですよ。それなにの辻先輩にはあんなに。」
「泰晴はもう4年目だもん。文月くんはまだ入ったばかりでしょ。」
「わかってる!でも悔しい。俺の存在は何なんだ。むしろ大声で無茶苦茶怒鳴られた方がマシ。」

 ゆうきゅんの苦しそうな声を聞いて何も言えなくなる。

「ははっ。自分の不甲斐なさを辻先輩に八つ当たりしてホント、マジかっこわる」
「……」

 ゆうきゅんは顔を上げ私とは逆方向を向いて話す。

「辻先輩ってなんであんなにデキた人なんですか。ミスした俺がムカつくはずだし、優芽ちゃんのそばをウロウロしてる俺がムカつくはずなのに。」
「…文月くん?」
「俺は仕事もできないし、人脈も人柄も何もかも辻先輩には勝てない。っていうか勝とうとするのがおこがましいか。ははっ。足元にもおよばないってのに。そんな人をライバル視してるなんてイタすぎ。ははっ。」

 どんな表情をしているかは見えない。自分を責めあざ笑う。こんなに黒いゆうきゅんは初めてだ。どう声をかけたらいいかわからない。戸惑う私を気にせずゆうきゅんは言葉を続ける。

「マジで。何なんだ俺。仕事できる。性格よし。顔よし。学歴よし。スポーツ万能…はっ…かっこよすぎる。何か欠点ないのかよ。こんな辻先輩相手にどうすりゃいいんだ。」
「待って待って。自分のことそんなに言わないで。泰晴と比べなくていいから!ゆうきゅんもかっこいいから。」
「ははっ。優芽ちゃんに何言ってんだ。慰めてほしいのかよ。情けな…」

 どうしたらゆうきゅんに私の気持ちが届くんだろう。ゆうきゅんはゆうきゅんにしかない魅力がいっぱいなのに。仕事だって新入社員なのに仕事ができるから泰晴が確認しなくてもいいって思ったんだし。人を引き付ける癒す人柄だって、かわいすぎる笑顔だって、誰とでも仲良くなってしまうコミュニケーション力だって…それに、とろけるような甘い笑顔やちょっと意地悪な黒い笑顔は私しか知らない、魅力だ。そう思った瞬間、胸がトクンと一度跳ねた。

「それに泰晴だって新入社員の時はミスをたくさんしてたよ。今からがんばればいいんだよ。数年後には泰晴みたいになれるって。何なら泰晴よりできるかも!」
「数年後なんて遅いんだよ!」
「…!」

 ゆうきゅんが拳を握って大声をあげた。私はびくっと震えた。

「今じゃなきゃ!今辻先輩に勝ちたい!数年なんて待ってられないんですよ。」
「……」
「いつ優芽ちゃんと辻先輩が付き合いだすか気が気じゃないんです。」
「……え?」
「仲のいい二人を見るたびに…優芽ちゃんが辻先輩に笑いかけるたびに!もう俺は狂いそうになる。」

 話がだんだん私と泰晴の話に移り、ゆうきゅんの言葉が激しさを増す。私と泰晴が付き合うなんてありえない。それをそんなに気にするなんて、もしかして…ずっと否定してきた答えがまた脳裏に浮かぶ。

「優芽ちゃんと辻先輩の繋がりには俺は手も足も出ない。辻先輩は何をとっても完璧なのに。作り物の俺。素のイケメンに俺なんかが太刀打ちできない。辻先輩のことすごく尊敬しているのに黒い感情があふれて仕方ない…苦しいっ…」
「ふづき…くん…」
「自分の感情をコントロールできないなんて。こんなこと初めてなんですよ。嫌で仕方ない。こんなに好きになったの初めてです。どうしたらいいのかわからない。」
「…っ」

 私は息を飲んだ。ゆうきゅんが好きだって。私をだよね。少しずつ自分の顔が赤くなるのを感じた。

「好きで好きで、好きすぎて苦しい!でも、やめれない。やめたくもない。」

 ゆうきゅんの気持ちが痛いほど伝わってくる。体全身で気持ちを表してくれてる。今までの私に対する言葉や態度や表情がずっと避けてた答えに一直線に線を結んだ。

「文月くんって本当に私のことが好きなんだね…」

 思わず言葉がこぼれた。

「ははっ。何それ。伝わってなかったんですか?ちゃんと言ったのに。ヒドい…」
「だって…」

 体操座りのような体勢でひざに顔をかくしたままゆうきゅんが力なく言う。

「優芽ちゃん、好きです。好きです。」
「…っ!」

 顔が一気に真っ赤になった。

「何度でも言いますよ!好きです!苦しくておかしくなるほどだいすきです!」

「……」

「……」

 急に静かになった。ゆうきゅんの叫び声がエコーのようにずっとこだましている。自分の心臓の音だけがすごくうるさい。何だか息をするのも苦しくて胸がいっぱいになった。

 このとき何でこんなことをしたのか今になってもわからない。でも、体が勝手に動いたんだ。
< 56 / 103 >

この作品をシェア

pagetop