メガネ王子に翻弄されて
第六章
〇野口不動産・開発事業部オフィス(夜)
ゆり子「えっ?」
目を丸くしているゆり子のもとにやって来た望月が、デスクの上に紙袋を置く。

望月「差し入れです」
ゆり子「あ、ありがとうございます」

紙袋の中にはホットコーヒーと海老とアボカドのサンドが。
ゆり子「おいしそう」
と、ポツリ。

望月「コーヒーが冷めないうちにどうぞ」
ゆり子のデスクの上に積み上げられている書類を手に取り、自分のデスクに座ってパソコンを立ち上げる。

ゆり子「はい。いただきます」
海老とアボカドのサンドを頬張る。

ゆり子「おいしい!」
口に手をあてるゆり子を見た望月の口角が上がる。

× × ×
望月「六時が定時だ」
と、ビジネスバッグを手にドアに向かう。
× × ×
一度は帰った望月の姿を思い出すゆり子。

ゆり子(さっさと帰ったのに、差し入れまで買って戻ってきてくれるなんて)
作業をする望月を見つめる。

ゆり子「どうして戻ってきてくれたんですか?」
望月「この量を異動してきたばかりの香山さんが、ひとりでこなすのは無理があるので。それに……」

ゆり子「それに?」
入力の手を止めた望月が、ゆり子を真っ直ぐ見つめる。

望月「差し入れは昼間のお詫びです」
ゆり子「お詫び?」
望月「非常階段で……」

× × ×
望月「……もういいです。でも今後なにかあったらチーフの俺にきちんと報告してください」
× × ×
非常階段であった、望月とのやり取りを思い返すゆり子。

ゆり子「ああ」
望月「あれは完全な八つ当たりでした。すみません」
と、頭を下げる。

ゆり子「八つ当たりって?」
望月「……」
黙ったままメガネのブリッジを押し上げた望月が、作業を再開させる。

ゆり子(差し入れはおいしいし、作業も手伝ってくれてるし、まあいいか)
黙ったまま作業をする望月を見つめながら、海老とアボカドのサンドをパクリと頬張る。

〇青木建設株式会社・外観(昼)

〇同・応接間
ゆり子「林から担当を引き継ぐことになりました香山ゆり子です。よろしくお願いします」
江藤「江藤です。こちらこそよろしくお願いします」

青木建設株式会社建築設計部長の江藤と挨拶を交わし、名刺交換をする。

江藤「おかけください」
ゆり子「はい。失礼します」
と、前担当者の林とともにソファに座る。

江藤「林さんはどちらに異動でしたっけ?」
林「大阪支社です」

江藤「そうですか。それは大変だ」
林「はい。引っ越しや子供の転校手続きなどで、バタバタです」
と、笑い合う。

江藤「香山さんは……ご結婚されていないようですね」
ゆり子の左薬指に視線を向ける。

ゆり子「はい。独身です」
江藤「失礼ですが、ご予定は?」
ゆり子「あいにく、そのような予定も相手もおりません」
と、作り笑い。

江藤「そうですか。私と同じですね」
爽やかに笑う。

ゆり子(大手建設株式会社の部長だからモテそうなのに独身なんだ)
密かに驚く。

江藤「今度機会があったら、一緒に食事しましょう」
ゆり子「はい。ぜひ」
と、微笑む。

〇取引先A・応接間
〇取引先B・ロビー
〇取引先C・通路

ゆり子「林から担当を引き継ぐことになりました香山ゆり子です。よろしくお願いします」
取引先の各社で挨拶して名刺を交換する。

〇野口不動産・開発事業部オフィス(夕)
ゆり子と林「ただいま戻りました」
取引先に挨拶を終えたゆり子と林がオフィスに戻る。

林「あとは私が担当していた事務処理ですが」
ゆり子「はい」
フリースペースに向かいながら、引継ぎの会話を交わす。

〇居酒屋・宴会広間(夜)
畳敷きの宴会場。前の席には部長と今回の辞令で異動になった社員が並んでいる。その中にはゆり子と松本の姿も。

部長「乾杯」
社員たち「乾杯」
ビールが注がれたグラスがカチンと合わさり、開発事業部の歓送迎会が始まる。

松本「やっぱり運命を感じちゃうなぁ」
ゆり子「……」
松本がビールを一気に飲み干す。

ゆり子(なんで隣なの……)
涙を流してビールを飲む。

ゆり子「どうぞ」
松本「ありがとうございます」
松本のグラスが空になったことに気づいたゆり子がビールを注ぐ。

松本「香山さんが入れてくれたビールはうまい!」
ゆり子「……」
松本がプハァッと息を吐き出す。

ゆり子(誰が注いでも味は変わらないのに)
と、苦笑い。

松本「開発事業部の仕事にはもう慣れましたか?」
ゆり子「いいえ。まだまだです」
松本「そうですか」
ゆり子「はい」
と、料理に手をつける。

あかね「望月チーフ、どうぞぉ」
ゆり子(あの声は、野口さん?)

声に気づいたゆり子が野口に視線を向ける。

望月「ありがとう」
あかね「いいえ」
と、望月にビールを注ぐ。

あかね「望月チーフって……」
望月「……」

ゆり子と松本が気になり、チラチラと様子をうかがっていた望月。あかねの話など耳に入ってこない。

あかね「望月チーフ! あかねの話、聞いてます?」
あかねの声を聞いて我に返る望月。

望月「聞いてなかった。なに?」
あかね「もう、ひっど~い」
と、大袈裟に頬を膨らませる。

望月「……」
黙ったままテーブルにグラスを置く。

あかね「お休みの日はなにをして過ごしているんですか?って聞いたんです」
望月「家でのんびりしてることが多いかな」
と、料理を食べる。

あかね「へえ。インドア派なんですね。あかねはお友だちと買い物したりカフェに行ったり……あ、そうだ」
バッグからスマホを出しタップ。

あかね「この前食べたパンケーキ、とってもおいしかったんですよ」
スマホを望月に見せる。

スマホ画像にはパンケーキを持ったキメ顔のあかねの姿が。

望月「……」
あかねの話にまったく興味がない望月が、ゆり子に視線を向ける。

望月の視線の先には、笑いながら松本と話をしているゆり子の姿が。

あかね「今度あかねと一緒にパンケーキ食べに行きませんか?」
望月に体を寄せる。

望月「野口さん。今はスマホをしまったほうがいいんじゃないかな」
ゆり子から視線を逸らした望月が、あかねをやんわりと注意する。

あかね「はぁい」
唇を尖らせてスマホをバッグにしまう。

顔を近づけてスマホを見る望月とあかね。その様子を見つめるゆり子。
ゆり子(あのふたりって仲いいんだ。彼女、かわいいもんね)

松本「……さん。香山さん」
望月と野口に気を取られていたゆり子が、名前を呼ばれて我に返る。

ゆり子「は、はい」
松本「どうぞ」
ゆり子「ありがとうございます」
と、松本からビールを注いでもらい、口をつける。

松本「今日は家まで送りますよ。女性のひとり歩きは危ないですからね」
キリッと背筋を伸ばす。

ゆり子(松本チーフに送られるほうが、よっぽど危ない気がするんだけど……)

ゆり子「大丈夫です。駅から近いので」
顔を引きつらせる。

松本「ダメですよ。きちんと送ります。香山さんは実家暮らしですか? それともひとり暮らし?」
ゆり子「えっと……ひとりです」

松本「そうですか。ひとり暮らしですか」
ゆり子「……はい」
ニタリと笑う松本の横顔を見たゆり子の顔が青ざめる。

ゆり子(実家で家族と暮らしてるって言えばよかった……)
身の危険をヒシヒシと感じながら、ビールに口をつける。

ほどよく酔いも回り始め、頬を赤く染めた社員たちがあちらこちらで盛り上がるなか。

橘「香山さん、飲んでますか?」
フラフラとした足取りの橘が、ゆり子の前に現れる。

ゆり子「飲んでるよ。橘くんは?」
橘「俺も結構飲んでるっす」
学生みたいな言葉遣いの橘をおもしろく思い、クスッと笑う。

橘「出た! 望月ハーレム!」
橘の大きな声を聞き、口からビールを吹き出しそうになり慌てるゆり子。

ゆり子「なに、それ」
ハンカチで口元を押さえる。
橘「アレのことっすよ」
と、広間の後方に目線を向ける。

橘の目線の先を追うと、そこには女子社員に囲まれた望月の姿が。

ゆり子「た、たしかにハーレムだね」
橘「でしょ? メガネ王子を取り囲むハイエナって感じっすよね」

目を丸くしてハーレムを見つめているゆり子の前で、橘が容赦なく言い放つ。

ゆり子(橘くん、毒舌……)
目を丸くしたまま、橘に視線を戻す。

ゆり子「自分がメガネ王子って呼ばれていることを、望月チーフは知ってるの?」
橘「知っているんじゃないっすか?」
ゆり子「そっか」
橘とゆり子が向かい合う。

橘「望月チーフってクールすぎる一面があるじゃないですか」
ゆり子「クールすぎる?」
と、首を傾げる。

橘「この前みたいに、残業しているほうが悪い、みたいな……」
ゆり子「ああ」

× × ×
望月「六時が定時だ」
と、ビジネスバッグを手にドアに向かう。
× × ×
橘に声をかけてオフィスを出て行く望月を思い出すゆり子。

橘「ああやって群がっている女子って、望月チーフの本性を知らないんでしょうね」
ゆり子「そうかもね」
見つめ合って笑う。

橘「あっ、今のは決して望月チーフの悪口じゃないっすからね」
と、慌てる。
ゆり子「うん。わかってる」
うなずくゆり子を見た橘がホッと胸を撫で下ろす。

橘「俺、酔ってるみたいです。ちょっと頭冷やしてきます」
ゆり子「いってらっしゃい」
頭をペコリと下げた橘がフラフラと広間を出て行く。

ゆり子(橘くんっていい子だな)
橘の後ろ姿を見て微笑む。

ゆり子(さて、私もそろそろ挨拶回りしようかな)
ビール瓶を持って立ち上がり、部長の元へ。

ゆり子「部長、どうぞ」
部長「ありがとう」
ゆり子、部長のグラスにビールを注ぐ。

部長「香山さんは、結婚の予定はないの?」
と、ビールを飲む。

ゆり子(い、いきなりですか?)
一瞬、顔が引きつるも、すぐに口角を上げる。

ゆり子「あいにく、そのような相手がいないので」
と、作り笑顔。

ゆり子(部長、かなり酔ってるみたいだな)
部長の顔が赤いことに気がついた矢先。

部長「そんなことを言っていたら、あっという間に子供が生めない歳になっちゃうよ。香山さんって三十三歳だっけ?」

ゆり子「まだ三十二です!」
つい大きな声が出てしまい、慌てて口に手をあてる。

部長「あはは。そんなにムキにならなくてもいいのに。でも婚活よりも先に妊活をしたほうがいいかもしれないな」
と、豪快に笑う。

ゆり子(酔っているとしても、ひどい……)
デリカシーのない部長の言葉にショックを受けるゆり子。
ビール瓶を持つ手が震え出す。

ゆり子(どうしよう。涙が出そう)
困惑しながらうつむく。

望月「部長、どうぞ」
部長「あ、望月くんか。ありがとう」
望月「いいえ」

ゆり子(えっ?)
弾かれるように顔を上げたゆり子と、望月の視線が合う。

望月「香山さん、顔が赤いですよ。トイレで見てきたらどうですか?」
と、微笑む。

ゆり子(今日はそんなに飲んでないけど……)
戸惑うも、望月の意図をすぐに理解する。

ゆり子「そ、そうさせてもらいます」
立ち上がり、部長の前から去る。

ゆり子(困っている私に気づいて、助けてくれたんだ)
広間を出ると、小走りでトイレに向かう。

〇同・女子トイレ
個室のドアが開き、目元を拭いながらゆり子が出てくる。

ゆり子「ブサイク」
鏡の前で目が赤く腫れている自分の顔を見つめて、ため息をつく。

ゆり子(セクハラのようなことを言われるのは、今回が初めてじゃないのに泣くなんて……。私、弱ってるのかな)
ハンカチを濡らすと、目元を冷やす。

× × ×
望月「香山さん、顔が赤いですよ。トイレで見てきたらどうですか?」
× × ×
望月に助けてもらったときのことを思い出すゆり子。

ゆり子(後でお礼言わなくちゃ)
トイレから出る。

〇同・通路
トイレから出たゆり子が通路を進んでいると、体の前で両腕を組み、壁にもたれかかる望月の姿が。


つづく

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