私、愛しの王太子様の側室辞めたいんです!【完(シナリオ)】

いつも通り

「……ローズマリーの様子が少しおかしいんだ」
「恐れながら……それはいつも通りでは?」

 重々しく口を開いたユリシーズに、ブラッドは口だけ敬意を払いつつ正直に答えた。
 昼過ぎにわざわざ王城の厨房まで来て、一体何を言い出すのか。ローズマリーの様子どころか、突拍子のないことをしでかすのはブラッドもそろそろ理解していた。

「……ローズマリーの様子が不審なんだよ」
「……それも、いつもの事では?」

 これまたブラッドは正直に答えた。ローズマリーの様子が不審なのもいつもの事だった。もはや通常通りといっても差し支えない。逆にユリシーズの方が不審だった。
 ユリシーズの意図が分からず、ブラッドは不思議そうな表情を浮かべる。一連のブラッドの反応に、ユリシーズは何を聞いても無駄だと悟ったらしい。ゆっくりと立ち上がった。

「ブラッドなら何か知っているかな、と思ったけど、これは本当に知らないみたいだね」

 ニッコリ、と妙に圧のある微笑みを浮かべて去っていったユリシーズに、ブラッドは血の気が少し引いた。

(一体、ローズマリー様は何をしたんだ?!)




 よく手入れがされている後宮の中庭の一角、閉鎖的な後宮内でも広い庭にローズマリーは侍女も付けずに一人でいた。
 ローズマリーはキョロキョロと周囲に誰もいないことを確認して、そっと低木が生い茂っている花壇の下を覗き込む。ローズマリーが来たことを悟ったのか、ひょっこりと小さな子犬が顔を出した。その様子にローズマリーは相好を崩した。

「やっぱりとっても可愛いわね!」

 撫でて欲しそうに擦り寄ってくる子犬の愛らしさに、ローズマリーはさらにデレデレとした笑みを浮かべる。彼女の小さな手のひらよりも、さらに小さな頭。真っ白でふわふわの毛。人懐こいのか、好奇心旺盛なのか、ローズマリーにも臆せず近付いてきた。

 子犬の存在に気が付いたのは早朝。まだワンとも鳴けないような子犬が必死で声を出して、それがローズマリーに届いたのだ。
 だが、生き物を飼ったこともなければ、犬と触れ合う機会などなかったローズマリーにはどうすればいいのか分からなかった。新しい侍女に相談すれば良かったのだろうか。ただ、新しい侍女とはそんなに仲良くはない。子犬の事は悪いようにはしないだろうが、それでも心配だった。

「貴方くらいの子は何を食べるのか、あんまりよく分からなかったのだけれど…、一応本を読んでこれなら食べられるみたいだから持ってきたの」

 ミルクの入ったお皿を子犬の目の前に持っていくと、お腹を空かせていたのかピチャピチャ音を立てて舐めだした。その様子を見ながら、片手で犬の飼い方が記された本をチラ見する。

(……やっぱりミルクだけじゃ不十分かしら?そろそろ離乳食あげてもいい頃……?)

 眉間に皺を寄せてローズマリーは唸る。

「うーん、赤ちゃんなんて育てたことないから分からないわ……ちゃんと相談すべきよね」
「むしろ育てた経験があるなら、問い詰めるところだったよ」

 いきなり耳元で囁かれて、ローズマリーは声にならない叫びをあげた。ユリシーズはしゃがんでいたローズマリーの後ろから覆い被さるように腰を落とした。
 そして、「ち、近……」と顔を赤くして制止するローズマリーの肩口に顎を置く。

「へえ……、一緒に昼食をとった時に様子がおかしいとは思ってたけど、子犬ね……。迷子か野良か……」
「バレていたのね……」

 ガックリと肩を落とすローズマリーにユリシーズは妙に圧のある笑みを浮かべた。

「何年一緒に居ると思って……、あれ?」

 話しながらユリシーズは瞳を瞬かせた。考え込むように口元に手を当てる。

「迷子か野良というよりも、子犬を侵入させた王城の警備はどうなっている?」

 ローズマリーも真剣な顔に変わった。王族が住んでる上に王国の重鎮たち集まっているので、王城の警備は厳重だ。それも子犬が入る隙間もないくらいに。
 そして、後宮は王城の中でもさらに警備が厳重な場所である。側室の整理が行われている真っ最中だとしても。

(あれ……?これってもしかして、かなり大問題なのではないしら……?)

 2人は思わず顔を見合せた。そして、微笑みを浮かべるユリシーズに、ローズマリーは嫌な予感がして思わず距離を取ろうとする。

「この子犬、僕に預からせて貰えるかな?」
「そ、それは嫌だわ……!」





「も、申し訳ございません……!!」

 目の前には深々と頭を下げる男。ローズマリーはやや唖然としつつも、慰めるように声をかける。

「そんなに畏まらなくていいわ。過ちは誰にでもあるもの……」
「ローズマリー様…!」

 今回の騒動はこの男――王城勤めの文官が犯人だった。
 どうやら子犬を引き取ったはいいものの、1匹でお留守番をさせるのが心配で連れて来てしまったそうだ。だが、途中で脱走してしまい、必死に探していたらしい。そして、事情を知ったユリシーズに捕まったのだと。
 腕組みをしたユリシーズが、眉間にやや皺を寄せる。

「本当にローズマリーが見つけたからこれくらいで済んでいるが……、直属の上長と話し合って今回の処分を決めるから、今日は大人しく自宅で謹慎をしておけ」
「……あ、あんまり厳しくしないであげてほしいわ」

 ローズマリーはやんわりとユリシーズを止めた。
 職場に愛犬を連れてくるのは置いておいて、文官の子犬を可愛がる気持ちはローズマリーも分からないでもないな、と思ってしまったので。
 渦中の子犬は文官が現れた瞬間、ローズマリーの手から離れてダッシュで自分の飼い主の元へと走っていった。それはもう飼い主が大好きだというように。
 ローズマリーは文官に微笑みかける。

「仕事場に犬を連れてくるのは良くなかったかもしれないけれど、この子犬にとって貴方はきっと素敵な飼い主なのね。そうじゃないと、貴方の元へ嬉しそうに走っていかないもの。――だから、これからもこの子を大事に思う気持ちはそのままであって欲しいわ」

 文官は一瞬目を見開いてから、ありがとうございます、と頭を下げた。





 夜の帳が下りた頃、ローズマリーは夜着に上着を羽織っただけの格好で、広いベッドで大の字になって寝転がっていた。

「随分と落ち込んでるね?」
「ユリシーズ様?!」

 ぼんやりと天蓋を眺めていたローズマリーは、慌てて起き上がる。夜遅くまで仕事をしていたらしいユリシーズが、扉の傍で微笑んだ。ローズマリーはやや頬を膨らませる。

「……毎回思うのだけれど、ユリシーズ様は何故いきなり現れるのかしら……」
「ちゃんとノックしてるよ?ローズマリーが聞いてないだけだと思う」
「否定出来ないわ……」

 ユリシーズはローズマリーの隣に腰を下ろす。

「それで?落ち込んでるのはあの子犬の事?」
「……ええ。やっぱり愛着がちょっと湧いてしまったみたいで……、ペットロスってこういう事なのね……」
「それはちょっと違う気はするけど、ローズマリーはかなりあの子犬を気に入っていたし、落ち込むのも仕方ないのかなとは思う」

 ローズマリーは息を一つつく。

「そうね……。子犬を見て、犬を飼いたいなって気持ちになったけれど」

 そしてチラリと部屋の机の上を見た。書類が高く積み上がっている。

「……とても犬を飼えるような余裕は今はないかもしれないわ」

 ユリシーズも苦笑いを浮かべる。

「そうだね。使用人に任せるという手もあるけれど」
「嫌だわ!使用人にばっかり懐いちゃいそうじゃない!」
「それもそうだ。――そして、あんなに書類が溜まっているところ申し訳ないんだけど」

 ユリシーズはニッコリと微笑んで、手元の書類を見せた。ローズマリーは顔を青くする。

「追加で僕達の結婚式の招待客リストにも目を通しておいてね」
「け、結婚式関連でやる事が多すぎるわ……!」

 頭を抱えたローズマリーに、ユリシーズは優しく微笑む。ローズマリーを引き寄せて、額にキスを1つ落とした。

「でもこれで、ローズマリーと後宮だけじゃなくて、ずっと一緒に居られるね?」
「それはそう……だけど」

 ほんのりと頬を赤らめたローズマリーは、恥ずかしそうに頷く。

「まあ、まだもうしばらくは忙しそうだけれどね」

 スッと身を離したユリシーズに、ローズマリーは首を傾げる。

「今日は泊まっていかないの?」

 その問いかけにユリシーズはやや固まる。そして、ニンマリと口元をつり上げた。

「それはお誘い?」
「え……?……お、お誘い?!違うわ!!」

 一瞬なんの事か分からずキョトンとしたが、慌てて首を振る。すっかり夜になっていたから、純粋な意味でのお泊まりのつもりだった。
 慌てるローズマリーに、ユリシーズはふふっと笑う。

「分かっているよ。それに明日も早いだろうから、おやすみ」

 あっさり帰って行ったユリシーズを見送った後、ローズマリーはベッドに大の字で寝転がった。

「そ、そういえば……、本当にもうすぐなのね……」

 天蓋をボーッと見上げて、ふと気付いた。

(あ、あれ?今までユリシーズ様が他の側室達と閨の儀を行っていたと思っていたけれど、実はユリシーズ様も初心者なのではないかしら……?)

 そして、再びガバッと起き上がる。ベッドサイドのローチェストから分厚い本を取り出す。――閨の儀についての本を。

(今まで知識だけ教えられていて、あとはユリシーズ様に……という説明だけしかされていなかったけれど……)
「お互い初心者なら、閨の儀の分野でもユリシーズ様より得意な事はあるはずよ……!」

 勉強に関しては勤勉で成績優秀な方であるローズマリーは、早速本を隅々まで読み込む為に開く。

 夜ふかしをしてまで勉強した事は、――残念ながら本番で生かされる事はなかった。
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