キスからはじまるエトセトラ
2、 あんなので足りるかよ
<< 楓花の回想>>
ーー 私と、 兄の大河、 そして天にいは、 小さい頃からの幼馴染だ。
昔ながらの軽食喫茶と、 その隣には2階建の家。
店のドアには『軽食喫茶 かぜはな』の文字。
道を挟んで向かい側には、 3階建の『柊胃腸科病院』の建物。その裏には柊家の豪邸。
ーー 軽食喫茶『かぜはな』は私の祖父母が営むお店で、 お店の奥と2階部分が祖父母の住居になっている。 お店の隣にある2階建てが、 父と母、 そして兄と私が4人で暮らしていた家だ。
兄の大河が天にいと同級生だったこともあっていつもツルんでいて、 7歳年下の私は、 そんな2人に子分のようについて回っていた。
◯ 喫茶『かぜはな』
『かぜはな』の窓際のテーブルで、 オムライスを食べている子供時代の3人。
天馬と大河が11歳、 楓花4歳。
この頃の楓花は男の子っぽくて、 Tシャツにオーバーオール、 ショートヘアー。
天馬と大河がケチャップで自分のオムライスに名前を書いている。
楓花 「私も名前を書く! 」
ケチャップを逆さにしてボトルを押すと、 ブチュッ!という音と共に、 オムライスの真ん中にケチャップが飛び出した。
楓花 「あっ! 」
オムライスの真ん中に日の丸のように丸く乗ったケチャップを見て、 半泣きになる楓花。
それを見て天馬が、 楓花の皿を取り上げて……
天馬 「楓太、 泣くなよ。 名前はもう書けないけどさ…… 」
スプーンの先でケチャップを触り、『ほら!』と皿を返す。
そこには、 ハート形のケチャップが乗ったオムライス。
楓花 「ハートだっ! 」
笑顔になった楓花を見て、 ニコニコしながら頭を撫でてくれる天馬。
◯ 再び喫茶『かぜはな』
ランドセルを背負った小3の楓花が、 ドアをカランと開けて入ってくる。
楓花 「お母さん、 おやつ〜」
母 「 こら! ランドセルを家に置いてらっしゃい! 」
楓花 「 だってお腹が空いたんだもん」
天馬 「颯太、 アイス食べるか? 」
その声に振り返ると、 窓際の席にいた天馬がこちらを見て笑っていた。
窓際のテーブル席には男女4人。
天馬の隣には大河、 その向かい側にいる女子2人は、 天馬たちと同じ高校の制服を着ている。
テーブルの隅には閉じられた学校のノートや教科書。一緒に宿題をしていて、 今は休憩中らしい。
手招きして楓花を呼ぶ天馬。
天馬はテーブルに置かれた緑色のクリームソーダからスプーンでバニラアイスを掬う。
天馬 「ほら、 お前、 アイス好きだろ。 あ〜ん」
楓花が釣られて「あ〜ん」と口を開けると、 そこにアイスを突っ込む天馬。
天馬 「美味い? 」
楓花 「うん、 美味い! 」
楓花がぱあっと顔を輝かせると、 天馬も嬉しそうに目を細める。
女子A 「ああっ、 いいなぁ〜。 私も天馬に『あ〜ん』ってして欲しい! 」
天馬 「駄目だよ、 颯太は俺の弟分だから特別なの! 」
楓花 (弟分…… )
その言葉にズキッと胸を痛め、 表情を暗くする楓花。
ーー そう、 あの頃の私はお兄ちゃんの真似をして男の子みたいな格好ばかりしていて、 天にいには『颯太』なんて呼ばれていて…… なのに私は、 いつからなんて分からない小さい頃から、 ずっと天にいが好きだったんだ。
だけど、 7才の年齢差は大きくて……。
楽しそうに笑いあっている天馬と女子生徒を見ながら、 楓花は立ち尽くしていた。
ランドセルの肩紐を掴む手に、 ギュッと力が入った。
◯ 高校の卒業式、 校庭
卒業証書の筒を手に、 大勢の女子生徒に取り囲まれている天馬と大河。
楓花の母 「卒業おめでとう、 大河、 天馬くん」
天馬 「ああ、 おばさん、 ありがとうござ…… 」
その後ろに立っている楓花を見て、 ハッとして言葉を失う天馬。
楓花 「卒業おめでとう、 天にい、 お兄ちゃん」
いつもとは違う雰囲気の11才の楓花が、 天馬に花束を手渡す。
ウエストをリボンで結んでいる紺色のシンプルなフレアーワンピに白いショートカーディガン。
肩まで伸びたシンプルボブは、 少しでも女の子らしくなりたいと髪を伸ばしてきた成果だ。
天馬 「ああ、 ありがとう…… 颯太 」
天馬がニッコリ微笑みながら、 クシャッと楓花の頭を撫でる。
楓花 (ああ、 やっぱり『颯太』なんだ)
ガックリ肩を落とす楓花。
楓花 ( どうしたら弟分の『颯太』を卒業できるんだろう)
過去に目撃してきた天馬と女の子たちの姿を次々と思い出し、 切なくなる楓花。
ーー こうやって私は、 どんどん先に大人になっていく天にいを見ているしかなくて、 その隣に立つ、 たった1人の女の子にはなれなくて……。
今また目の前で、 女子に取り囲まれている天馬をじっと見ているしかなかった。
◯ 結婚式場のロビー
披露宴後のフロアーで、 立ち話している月白家の6人。
大河 「父さん、 母さん、 じいちゃん、 ばあちゃん、 それから楓花も、 今日はありがとうな。 俺はこれから友人だけ集めた2次会だから…… 」
楓花 「お兄ちゃん、 本当におめでとう。 茜ちゃんと仲良くね!」
大河 「 おう、もちろん! 楓花も向こうの短大で頑張れよ! 」
楓花 「うん」
楓花の母 「大河の結婚式の翌日に楓花が東京に行っちゃうなんてね…… 寂しくなるわ」
大河 「おいおい、 俺と茜が同居するんだから、 寂しいなんて言うなよな!」
楓花の母 「ふふっ、 そうね」
ーー お兄ちゃんは大学卒業後、 事務用品を扱う会社に就職して、 営業として働いている。
25歳になった今年、 高校時代から付き合っていた茜ちゃんと結婚する事を決め、 今日めでたく式を挙げたのだった。
大河が楓花の両肩に手を乗せ、 優しい兄の顔をした。
大河 「楓花もたまには帰って来いよ」
楓花 「うん、 ありがとう」
大河 「まっ、 次に来る時は天馬の結婚式かもな」
楓花 「えっ?! 」
大河がこちらを向いたまま、 ロビーの隅の方に固まっている集団を親指で示した。
大河 「アイツ、 お見合いしたんだよ…… って言うか、 相手は医学部時代の同期で、 前から知ってる女なんだけどさ」
楓花 「うそ…… 」
大河 「嘘じゃないって。 ほら、 あそこで天馬の隣にいる黒いドレスの綺麗な子。 水瀬椿って言ったかな…… 2回くらい天馬と彼女と一緒に飲みに行ったことがあるけど、 美男美女でお似合いだったよ」
楓花 ( お見合い…… 結婚……お似合い…… )
大河の言葉がグサグサと心に突き刺さる。
天にいは昔からモテていた。 女の子と並んで歩いている姿も何度も見てきた。
だけど、 いつも相手はコロコロ変わっていたし、 特定の彼女がいるとも聞いたことが無かったから、 天にいが誰かと付き合うというのも、 どこか現実味がなくて、 具体的に考えたこともなかった。
楓花 (そうか…… とうとう…… )
結婚してしまったら、 今までみたいに気軽に頭を撫でてもらえなくなるのだろうか。
自分が使っていたスプーンでバニラアイスを食べさせてくれることも無くなるのだろうか……。
楓花は家に帰ると、 ベッドに横になりながら考えた。
楓花 ( 告白しよう…… 天にいが結婚してしまう前に )
どうせ失恋するのなら、 最後に弟分の『颯太』じゃなくて『楓花』として、 気持ちだけは伝えよう。
大丈夫、 どうせ私は明日には東京だ。その前に天にいにサラッと伝えてしまえばいい。
『記念受験』っていうのがあるように、 私も『記念告白』をするだけのこと……。
◯ 翌日、 柊家の前
玄関からラフなスエット姿で出てくる天馬。
門扉の前には緊張した面持ちで立っている楓花。
天馬がふわ〜っと欠伸をしながら門扉を開けて出てくる。
天馬 「颯太、 こんな朝早くから呼び出すなんてどうした? 俺、 昨日は大河の3次会まで付き合ってさ…… 」
楓花 ( 3次会まで椿さんって人と一緒だったのかな…… )
天馬 「んっ? 颯太、 どうした? 東京に行く前にお別れの挨拶を言いにきてくれたのか? 」
俯いている楓花の頭を優しく撫でながら、 顔を覗き込んでくる。
楓花 ( 天にい、最後まで優し過ぎるよ…… そして、 スエット姿でもカッコいいって、 反則だよ…… )
楓花 「天にい、 私…… 」
天馬 「ん?…… 楓花、 お前、 泣いてるのか? どうした、 大丈夫か? 」
何も言えなくなった楓花は、 天馬にチュッとキスをすると、「お幸せに! 」とだけ言って、 駆け出した。
天馬 「おっ、 おい、 颯太! 」
楓花を追いかけようとした天馬が、 自分のスエット姿と、 足に履いているサンダルを見て一瞬躊躇している間に、 楓花はタクシーを捕まえて乗り込んでいった。
楓花はタクシーの中で涙を流しながら、 そっと目を閉じた。
楓花 ( 結局、 気持ちを言葉にすることは出来なかった。 だけど、 たった1度のキスの思い出だけで、 もう充分だ……。 さようなら、 天にい)
<< 回想終了>>
***
◯ 病院の病室
楓花は床頭台の上からスマホを取り、 画面を見た。
時刻は午後10時。 消灯時間を過ぎ、 辺りはひっそりと静まり返っている。
楓花 (今日はいろいろあり過ぎて頭がついていかない…… )
気が付いたら病院で、 知らない間に手術されていて、 主治医が天にいで…… キスされて、 睨まれた。
天馬に言われた言葉が脳内でリフレインされる。
『お前ってさ…… 本当に酷い女だな』
『誰にでも簡単にキスさせてんじゃねえよ』
楓花 ( 私はそんなに軽い女に見えたんだろうか。 あの日、 私からキスをしたから? 結婚前の男性にそんな事をしたから? )
楓花 「だったら今日の天にいこそ酷いじゃん。 結婚してるのにキスしてくるなんて…… 」
肩まで布団を引き上げて、 ベッドの上で横になるものの、 グルグル考えていたら寝付けない。
その時、 病室のドアが開いて、 廊下の光が漏れてきた。
楓花 ( ナースの巡回? …… は9時に終わったばかりだよね? )
楓花は咄嗟に身を固くして目を瞑り、 寝ているフリをした。
病室に入ってきた人影はゆっくりベッドサイドまで来て、 楓花の顔を覗き込んだ。
顔のすぐそばに生暖かい吐息を感じる。
その人物は横向きに寝ている楓花の耳に口づけ、 耳たぶを甘噛みした。
生まれて初めての感覚に、 思わず「あっ……」と色っぽい声が出る。
男 「やっぱりタヌキ寝入りか」
その声に楓花はパッと目を開け、 慌てて上体を起こした。
楓花 「天にい! 」
楓花が枕元のベッドランプをカチリと点けると、 天馬が手を伸ばして素早くそれを消す。
楓花 「えっ、 どうして…… あっ! 」
天馬の顔が近付いて来たのが分かって、 楓花は咄嗟に顔の前で両腕をクロスさせ、 唇をガードした。
すると天馬は楓花をポンと片手で押して、 難なくベッドに押し倒した。
彼女の両手首を片手でガッチリ掴んで、 そのままグイッと頭の上で枕に押し付ける。
右手で楓花の手首を押さえたまま、 左手を楓花の頭の下に差し込むと、 乱暴に唇を重ねた。
楓花 「ん…… ふ…… 」
天馬が唇を離して楓花の目を熱っぽく見つめる。
天馬 「 口を開けろよ」
楓花 「天にい、 どうしてこんなこと…… さっきだって…… 」
天馬 「 4年分だ…… あんなので足りるかよ」
天馬は楓花の言葉を遮るようにそう言うと、 半開きになっていた楓花の口を唇で塞ぎ、 舌を差し入れて来た。
楓花 「んっ……!」