Before dawn〜夜明け前〜
一方。
丹下と黒川に連れられて、いぶきはぼんやりと廊下を歩く。
廊下の窓から、赤く染まり出した空が見えた。
ーーまた、闇が来る。
「空を飛べたらいいのに。
そうしたら、ずっと光を追って飛んでいける。
もう、闇の中は嫌だ」
ふと呟いて、いぶきは足を止めた。
『空を飛ぶ』
その言葉の意味することを察して、黒川は慌てていぶきの手を掴んだ。
「青山さん。
ダメだ。人は空を飛べない。
ずっと光を追うことはできないよ。
大丈夫、きっといいこと、あるから」
黒川がそう言って、いぶきの手を引く。
だが、いぶきは、窓の外をジッと見つめて歩き出さない。
「そんな期待するだけ、虚しい。
現実は、辛いだけ。
いいことなんて、あり得ない。
もう、期待も希望も何も持てない未来なんて断ち切りたい。
…その手を離して?黒川くん」
いぶきは、無表情。
『生きる』ことを捨てようとしているような、生気の無い顔だった。
それを見て、黒川はいぶきの正面に立ち、窓の外が見えないようにした。
「あぁ、分かるよ。俺もずっとそう思ってた。
親に捨てられ、ゴミだらけの部屋で汚臭にまみれ、空腹で死ぬところだったガキの時。
施設に引き取られて、どうしても馴染めなくて飛び出した時。
俺も、空を飛びたいって思ったよ。生きるよりずっと楽になれるって思った。
だけど、そんな泥水すすりながら暗闇の底辺で生きていた俺が、オヤジに出会ったことで人生変わった。
ヒロや拓人にも出会えた。
俺、今なら言える。
生きてて、よかったって」
ゆっくり、いぶきの目が黒川をとらえる。
黒川がひどく大人に見えた。多くを経験してきたような彼の言葉は、重みを感じた。
「青山さん、秘密を教えてあげる。
俺は、桜木組の構成員だ。
でも、勉強が好きで。仕事の合間をぬって図書館に通いつめて、山程本を読んでた。
そうしたら、小学校すらまともに行ってない俺を、行きたくても行けなかった高校に、オヤジが手を回して入れてくれた。
高校生になるなんて、夢のまた夢だったんだぜ?
ヤクザになった俺でさえ、救われたんだ。
絶対、いつか報われるから。
いいかい?
明けない夜はないよ。
必ず光は差すから。
拓人はもちろん、俺もヒロもいるよ。
青山さんのこと、ほっとけないよ。助けるから」
「…黒川くん」
黒川は優しく微笑んで大きく頷く。
「クロの言う通りだ。
青山。やられっぱなしは無いぞ。
いつか必ず見返してやろうぜ」
「丹下くん…
ありがとう。
でも、私、自分の事で誰にも迷惑かけたくない」
濡れた体が冷えて、ぶるっと震える。
そんないぶきの体が、不意に後ろからぐいっと押された。