ペトリコール
あじさいの花に触りたかったわけじゃない。

1秒でも時間を稼ぎたかった。
家に帰りたくない。
ただ、それだけだった。


5年前、あの人を初めて紹介された時の事を
今でも鮮明に覚えている。

お母さんは女手一つで私を育ててくれた。
友達と比べれば、貧しい暮らしだったけれど
不満なんかなかった。

だけど、あの人を紹介されたお店は
私が今まで行った事もない素敵なお店で
そのお店の個室で食べた事のない美味しい料理を食べさせてもらえた。

あの人は優しく微笑んでいた。

帰りはあの人の車に乗せてもらって家まで
送ってもらった。

タクシーにだってあまり乗った事がなかった私は
まるでお姫様にでもなったような気持ちだった。

それからは、遊園地や動物園に連れて行ってもらったり、可愛い洋服を買ってもらったり。あの人は惜しみなく夢のような時間を私に与えた。

「おじちゃんが、私のお父さんになってくれるの?」

だから、あの人とお母さんが結婚して一緒に暮らしたいと言われた時に、私は喜んだ。


夢のような時間が永遠に続くと思っていたから。
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