アラサーですが異世界で婚活はじめます
 いつか……何とかして「もとの世界」に戻る手だてが見つかるまで……!

 ……そう固く決心をしたつもりだったけれど、その一方で人の好い夫妻に嘘をついているという罪悪感が心の隅には常にあった。

 屋敷で共に暮らすうちに、美鈴は夫妻に対して本当の肉親のような親しみを感じるようになっていたし、ルクリュ夫妻からは全面的な生活の保証と、美鈴を子爵家の養女として迎えるという話までもちかけられていた。

 東京に戻れる可能性が全く見えてこない今、美鈴としてはなんとかこの世界で生きる手だてを見つけなければならない。

 この世界での唯一の拠り処、ルクリュ家の一員として、夫妻の「娘」として暮らしていくこと……それは、「貴族令嬢」として生きていくこと―― 美鈴が一度たりとて想像したことのない ―― に他ならない。

 生来の真面目さから美鈴は令嬢としての基礎的な作法やダンスのレッスンに熱心に取り組み上達も早かった。

 しかし、いくらこの世界に多少馴染んできたとはいえ、心のうちでは元の世界に戻りたいという思いが強かった。

 一生を、いわゆるキャリアウーマンとして仕事に生きると決めていた美鈴には、たった2か月の間にこの異世界で生きていく覚悟などできるはずもなかった。

さきほど前庭を歩いていた「男」が屋敷に到着してしばらく経った頃。
 自信と余裕に満ち溢れたリズミカルな靴音が廊下を近づいてきた……と思ったら短く鋭いノックの音。

「……どうぞ」

 儀礼的に、やや冷たい声で美鈴はノックに応じた。

 引き締まった長身をドアから優雅に滑り込ませて、リオネルは令嬢(レディ)を前にうやうやしく礼をしてみせた。

 端正な顔にはどこか人をからかうような笑みがたたえられている。

 この世界で美鈴を最初に見つけた人間 ―― リオネル・ド・バイエは、ルクリュ子爵の弟の息子、つまり甥にあたる。

 リオネルは幼少時から、1歳年下の子爵家令嬢 ミレーヌの遊び相手として頻繁にルクリュ家に出入りしており、いつも陽気で快活な彼は子爵夫妻から実の子のように可愛がられていた。

 ミレーヌが14年前に亡くなった後も、甥として、子供のいない夫妻のよき話し相手として、リオネルと子爵家の交流は続いていた。

 美鈴が屋敷で暮らすようになってからも、リオネルは「ご機嫌伺い」などと言って何かにつけては美鈴の顔を見に来たし、夫妻もそれを歓迎していた。
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