青の秘密を忘れない
第1章 ずっと惹かれていた
今日も、早いな。

エレベータを降りた瞬間にガラス張りになっているオフィスを覗いた。

気だるそうにパソコンを見つめる横顔が見える。
力が入っていないわりに、伸びた背筋が彼らしい。
こちらに気付く気配のないその横顔を見ることが日課になっていた。

なるべく何も意識していないような素振りで席に向かう。
私の気配に気が付くと、彼は顔を上げた。
おはようございます、と笑う彼に挨拶を返しながら背向かいの席に座る。

「篠宮さん」

彼―――青井君に名前が呼ばれると、私はいつもどきっとしてしまう。
彼の声が甘く聞こえるからだ。
おそらくほんのちょっと、さ行の発音があまいからだと思う。

「どうしたの」

キーボードを打つ手を止めて、彼の方へ体を向ける。
彼はさっと私の横に座り込むと、私を見上げた。

真っ直ぐ覗きこんでくる彼の目は、蛍光灯の光を反射して薄い茶色に輝いている。
私は彼の目を直視出来なくて、彼が手にしているマニュアルに目を落とした。
お世辞にもきれいとは言えない、書き込まれている彼の文字を目で追う。

「ここの手順が分からなくなったの?」

「よく分かりましたね!やっぱり篠宮さんは僕のことよく分かってるな」

最初の不安そうな表情は消え失せ、青井君はわざとらしいどや顔でこちらを見た。
私はまるでクイズに正解したかのような気分になった。

「ほんと青井君って、私のことなめてるよね」

私は冗談っぽく嫌そうな顔をして、彼のマニュアルに書かれた文字を指でなぞる。

「そんなことないですよ。僕、篠宮さんのこと尊敬してます」

本気なのか冗談なのか判断しかねて、青井君の顔に目を向ける。
彼は私の持っているマニュアルを覗きこんだから、彼の表情は読み取れなかった。

彼との距離がぐっと縮まり、彼のさらさらとした黒い前髪が私の頬に触れる。
触れたところがくすぐったくて、急に熱を帯びたように感じた。
彼は別に気にしている様子もなく私の指先が示す説明に、集中しているようだった。

「なるほど、分かりました。ありがとうございます」

確認し終わった彼はさっと立ち上がると、自分の席へ戻っていった。
私は忘れていた呼吸を思い出し、彼に聞こえないように深呼吸をした。

青井君を意識するようになったのは、いつからだろう。
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