嫁入り契約~御曹司は新妻を独占したい~
「でも、起きてると思わなかったからラッキーだ」


脱いだスーツのジャケットを、部屋から持ってきたハンガーにかけた私に、薫さんは疲れた顔で微笑んだ。


「ラッキーだなんて……たまたまですよ」


ハンガーを持ってうろうろする私を見て、薫さんはクッと声をこもらせて笑う。
こんな夜更けにまでからかわれるなんて。


「でもほんと、最近まともに顔を合わせてなかったろ? 明日、って言ってももう今日だけど、朝早くから研究所の視察が入ってるし」
「そそ、そうなんですか」


ハンガーを部屋に運び戻ってくると、薫さんはソファに深く腰をかけ、おもむろにネクタイを緩めた。
結び目をシュルッと滑らかに解く指先の運動が気だるげで、やたら惹きつけられる。

……なんて、なに見惚れてるんだろう。
私、早く休んだ方がいいかも。


「そういえば今日、久しぶりに香山に行ったんだ。片山さんだっけ? 一華のこと、気にしてたよ」


思い出したように、ぼんやりと遠くを見つめて話す薫さんに対し、私は前のめりになった。


「え! 片山さんが、ですか⁉︎」


たった一ヶ月だけど指導してもらった懐かしい思いと、急に辞めてしまい迷惑をかけた申し訳なさが一気に頭を駆け巡る。


「うん、元気にしてるって伝えたら、今度是非ご夫婦でぜひ、って。香山は俺たちが愛を育んだ店ってことになってるし、今度お礼も兼ねて一緒に伺おう」


ソファの背もたれに後頭部を乗せた薫さんが、天井を見上げる。


「香山もいいけど、一華の手料理も食べたいな」


独り言のように呟いて、ただ突っ立っている私に目配せをする。


「お、落ち着いたら、なんでもご希望のものを作りますね!」


私の気合の入った一言に、薫さんは頬を綻ばせた。
そのままリラックスして眠ってしまいそうな、安らかな表情だった。

この表情が見れるのは、私だけだと思ったら、窓の外の夜景よりも貴重で大切なもののように感じた。
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