バッドジンクス×シュガーラバー
いよいよ起きていられなくなってきたらしい。途切れ途切れの覚束ない声で、彼女がつぶやいた。

俺はピタリと動きを止め、そのまま元いた位置に体勢を戻す。



「……そうだな」



小さく返した直後、再び穏やかな寝息が小糸から聞こえてきた。

今日1番大きなため息を吐き、シートに深く背中を沈み込ませながら目を閉じる。

ふと、昔実家で飼っていた猫のことを思い出した。

家族の中でなぜか俺にだけいつまで経っても懐かず、だけどときたま、いつもの警戒心が嘘のように擦り寄ってくることがあったのだ。

そうしてようやく心を開いてくれたのかと思いきや、次の瞬間には素知らぬ顔でどこかへ行ってしまう。



「……俺はおまえの、『お父さん』になりたいわけではないんだけどな」



ついついこぼれた独り言は、少し情けないただの男の声だった。

あのキスに込められた劣情を、いつか彼女が思い知って──もう二度と、俺と父親を並べようなんて思わなくなればいい。

そのときまでは俺の打算的な優しさにまんまと騙されながら、じわじわ心を開いて懐けばいいんだ。

いつか、この感情をすべて余すことなく彼女の胸にぶつけるその日がくるまで、せいぜい“いい上司”でいてやろう。

闇々のうちに不穏なことを考えつつ、俺はタクシーが停車するまで、ガラス越しのあどけない寝顔をぼんやり眺めていた。
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