政略結婚は純愛のように~狼社長は新妻を一途に愛しすぎている~
「長坂、今井会長に電話を繋いでくれ。…いや、まだ屋敷か。いい、俺がする。」

 隆之はその場で携帯をタップして幸仁の携帯にコールする。
 平素は、多忙な人だから必ず秘書を通すようにしているが内容は由梨のことだ。
 問題はないだろう。
 突然の隆之の行動に長坂は一瞬驚いた様子だったがすぐにタブレットを起動させて隆之のスケジュール画面を開いている。
 わけがわからないなりに、なにか非常事態なのだと察知して今後のスケジュールをチェックしているのだろう。
 何回目かのコールでようやく幸仁が出た。

『…加賀君か?どうした。』

 番号は知っていても直接電話をかけるのは初めてだ。
 幸仁の少し戸惑っているような声が聞こえた。

「おやすみのところ、申し訳ありません。由梨はまだそちらにいますか。」

 やや早口に隆之は要件のみを言う。
 あまり礼儀正しいとは言い難いが仕方がない。
 これで由梨がまだ屋敷にいれば解決だ。
 隆之は祈るような気持ちでスマホを持つ手に力を入れる。
 けれど電話口から聞こえてきた幸仁の返事は非情なものだった。

『いや、…もうそちらへ出発したよ。』

「それはいつ頃ですか。」

『…ちょっと待って、おい!芳子!』

 幸仁は芳子を呼んで尋ねたようだった。
 末の姪の出発などは見送ることもないのだろう。

『ああ、加賀君?朝早くだそうだ。もうそちらに着いてもおかしくはない。』

「実は由梨と連絡が取れないのです。会社の方の携帯にも出ないようでして…。」

 隆之の言葉に、電話の向こうで幸仁が少し笑ったような気配がした。
 小学生じゃあるまいし過保護すぎないか、という心の声が今にも聞こえてきそうだ。
 けれど幸仁は人格者らしく隆之を馬鹿にするようなことはせずに、宥めるように言う。

『電車に乗っていて、出られないんじゃないかい。』

「そうかもしれません。でもメールも返さないんです。…ところで会長、和也氏が帰国されてますね。」

 隆之は捲し立てるように言う。
 焦りを隠すことができなかった。
 今まで何度も修羅場をくぐってきた隆之だが、こんなに胸が潰れるような思いは初めてだった。
 スマホを持つ手がじっとりと濡れる。

『あぁ、私も知らなかったんだが、急遽昨日遅くにね。』

「和也氏は屋敷におられますか。…今日は会社の方はお休みのようですが。」

 この質問で、隆之の言いたいことは幸仁に的確に伝わったようだ。
 幸仁はしばらくの無言のあと、再び芳子を呼んだ。

『おい、芳子、和也は?え…?なに?』

 幸仁の向こうから芳子の話す声が途切れ途切れに聞こえる。
 が、内容までは掴めない。
 隆之の胸が痛いくらいに鳴った。
 電話の様子からただ事ではないと悟った長坂が心配そうにこちらを見ている。
 向こうのやりとりを待つ間の時間が、永遠にも思えた。

『加賀君、和也は朝早く由梨を駅に送ると言って屋敷を出たまま戻ってないそうだ…。』

 幸仁の切羽詰まった声を聞いて、隆之は思わず舌打ちをする。

「なぜ行かせたんです!?」

 とがめる言葉がついて出た。
 由梨を遠くへ縁付かせたいと思うほどに和也から遠ざけたがったくせに。
 グループのトップである幸仁に声を荒げる隆之に長坂は目を剥いているが、構うものか、由梨に何かあったら死ぬより辛い目に合わせてやると隆之は心の中で物騒なことを叫ぶ。

『使用人に言付けて行ったのだそうだ…相当に朝早くだったらしく、私たちはまだ寝ていて…。』

「由梨は?!その者は由梨を見たのですか?!」

『それが…すでに車に乗っていて…眠っているようだったと…。』

 隆之はスマホを投げつけたくなるのを何とか堪えた。
 由梨が和也の気持ちに気がついていないとしたら駅まで送ってもらうくらいはあるかもしれない。
 けれど眠っているようだったというのはなんだ?
 それに誰にも知らせずに急遽帰国して早々、人目の少ない時間帯に眠った由梨を連れ出すという和也の行動はどう考えても不自然だ!

「和也氏に連絡は!?」

『…それが、さっきから妻が電話をかけてはいるんだが…繋がらない。』

 隆之はくそっと言って、右手で机を殴った。
 
『お、落ち着きなさい、加賀君。きっとそう心配することはない。二人ともいい大人だ。一日くらい連絡が取れないこともあるだろう。』

 もちろんそうだ。
 けれどそれは二人が自分の足で別々に出かけていった場合だろう。
 
「会長…和也氏の由梨への執着に苦慮していたのは貴方だ。眠る由梨を連れ去った彼がなにもしないと言いきれますか。」

『…。』

「…もし由梨に何かあれば、私は貴方達を許さない。私と全面対決をする覚悟をして下さい。」

 静かな隆之の怒りに電話の向こうで幸仁が息を飲む。
 長年の慣例を曲げてまで社長にほしいと思うほど、実力があると認めた男の怒りが自分に向くことに恐怖を感じたようだった。

『まて、まて、加賀君!すぐに探し出してみせる!手を尽くすから!』

「…眠る由梨を連れて交通機関は使えません。車で行ける範囲でしょう。人里離れた場所にある今井家が管理している物件で和也氏が行きそうなところを、ピックアップして下さい。…私は、今すぐそちらへ向かいます。」

『わ、わかった!し、しかし…来るのか?こちらへ?』

 それほどのことかとでも言うような幸仁の口ぶりに隆之は頭が沸騰しそうなほどの怒りを感じた。

「貴方たちは由梨をなんだと思ってるんです!!??由梨は私の大切な妻です。もう一度言います!もし由梨に何かあれば、加賀グループからの資金はすべて引き上げさせてもらいます!無能な後継者を置いている会社に未来はない!!」

 隆之の怒号に幸仁はあわあわと何かを言っているが、隆之は取り合わず逐一報告だけするようにと一方的に言って電話を切った。
 さすがに言いすぎたという自覚はあるが、あれくらい言わないと幸仁が本気で動かないのも確かだ。
 由梨のことは小指の爪くらいしか興味がないのだから。
 
「長坂、スケジュールの調整を頼む。飛行機のチケットもだ。…東京へ行く。」

 長坂は無言で頷いた。
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