マリッジライフ・シミュレイション~鉄壁上司は妻を溺愛で溶かしたい~

お世話になった上司から海外転勤が決まったと連絡があり、あちらに行く前に一度家族と一緒に食事をしないかと誘われたのがきっかけだった。

遠山紀一(とおやまきいち)。俺が転職して入った【株式会社Tohma(トーマ)グループホールディングス】で、最初に上司として着いたのが彼だった。
実は彼は、義父である高嶺常務の大学時代からの友人であり、入社同期でもある。それゆえ、入社後は仕事以外にも何かと気にかけてくれ、時には厳しく時には優しく、社会人としてだけでなく一人の男としても色々なことを叩き込んでくれたのは彼だった。いわば会社での父親のような存在だ。

そんな恩師のような彼に食事に誘われて断るはずはない。しかもしばらくは会えなくなるという。もちろん二つ返事でオッケーした。


約束の日、遠山本部長に連れられ、ホテルの展望レストランに着くと、彼の奥さんの隣にもう一人女性の姿があって驚いた。彼らの間に子どもはおらず、“家族との食事”と聞いていたので、奥さんを交えて三人で食事をするものだとばかり思っていた。

立ち上がった女性の髪が肩の下辺りでさらりと揺れる。遠山本部長に『雪華ちゃん』と呼ばれた彼女の方を意識的に見ないようにして、隣に立つ本部長の奥さんへと挨拶をした。

(聞いていませんよ?)

そんな意味を込めてチラリと横を見ると、本部長は何食わぬ顔で紹介をしはじめる。そのにこやかな表情の裏側を読み取り、俺は舌打ちを必死に堪えた。

(この、タヌキじじいめ……!)

一見温厚そうな彼だが、中身は策士でシビア。それを知っているのは、彼との付き合いが長いからだろう。

入社以来、何事にも動じないポーカーフェイスを養ってきた甲斐があって、内心の苛立ちを表に出すことなく、何事も無かったかのように目の前の女性に挨拶をした。
< 291 / 336 >

この作品をシェア

pagetop