Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?
自宅前まで送って貰ってから田村さんとは別れた。田村さんもマンションを見て驚いていたから、やっぱりここは普通じゃないんだと思う。
冷たい風が寒くて、グレーのパーカーのポケットに手を突っ込む。
「あ、これ・・・」
指先に触れたのは、ポケットに入れたまま返しそびれていたハンカチ。田村さんを思えば少し強くなれる気がしてぎゅっと握り締める。ちゃんと聞いてみよう。匠くんの気持ち。
「あらぁ! 久しぶり。最近見なかったじゃない」
急にポンと背中を叩かれてビクリと肩を揺らす。振り向いた先には見たことも無い女性が立っていて、私の心中とは反対に親しげに笑いかけてくる。
「え、と・・・」
「あら忘れちゃったの? 前にここで私の犬が逃げたときに、一緒に追いかけてくれたじゃない」
前とはどのくらい前の話だろうか。私がここに引っ越してきてから二週間程だけれど、そんなハプニングが起きた記憶はない。そして感じるデジャヴ。
「それ私でしょうか?」
「そうでしょう。髪もそんな感じだったし、そうだったと思うけど。アレでしょう? 大谷くんのところの」
大谷と言われればそうだ。しかしたった二週間の出来事を忘れることがあるだろうか。
「あらぁ・・・でも、なんだか今日はラフねえ。もっと女の子らしい感じだった気がするんだけど。もしかしたら違うかもしれないわ。もう一年以上前だし、私の記憶違いかも。ごめんねえ」
「いえ、よくあるので」
「じゃあね」
「・・・」
女性は「おほほほ」と笑いながら嵐のように去って行き、ぽつんと残された私の心はざわついていた。
ただの人違いじゃないか。平凡顔あるあるなんだ。あるあるなんだけれど、大谷の名前が出てきたことが引っかかって仕方がない。大谷という苗字だって言ってしまえばあるあるで、同じ苗字の人なんて五万といる。だから偶然が重なっただけ。
「亜子ちゃん」
立ち尽くしていた私の背中に投げられた言葉に振り返ると、そこにはスーツを着た匠くんが立っていた。こちらを見下ろしている瞳には疲れが覗いていて、横に結ばれた口元には憤りが宿っている。
「匠くん・・・、えと、早かったね」
「何してるの?」
「え?」
「誰かと会ったの?」
誰かと言われて真っ先に思い浮かんだのは先程の女性で、先程のことで心と共に視線も俯く。なにかが引っかかっているのに、確かなことが一つも無くて。思わずごまかしていた。
「んーん。ちょっとコンビニに行こうかと「嘘つき」___え?」
呟いた声は小さかったけれど、確かに聞こえた「嘘つき」の言葉は間違いなく怒りを含んでいる。
「亜子ちゃん。だめだよ」
手首を掴まれてそのままエレベーターへと向かっている。匠くんを見上げても振り向いてくれなくて、不安が込み上げた。
こんな匠くん・・・知らない。