Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?



 手触りの良いネイビーのベルベット生地のロングドレスは、身体のラインを美しい光沢で協調させている。こんな服着たこと無くて、ヒールで裾を踏んでしまわないようにそろりそろりと歩く。

「亜子ちゃん」

 レストランの扉が開かれ、いくつものテーブルが並んでいる向こうの方から名前を呼ばれた。他にお客さんはいなくて、カウンターの中に男性のスタッフが一人と外に一人。あとは大きなピアノからジャズが聞こえていて、弾いているのは外国の方のようだ。クロスの掛けられた丸テーブルの横に匠くんが立ってこちらを向いている。先程までの不格好な歩き方にならないように、出来るだけ背筋を伸ばして匠くんの元へと向かう。

「どんな亜子ちゃんだって素敵だけれど、凄く・・・綺麗だよ」

 甘く笑う匠くんの表情が、嬉しくないはずがない。ドレスだけではなく、髪やメイクまで全てプロによって作り上げられた私は、人生で一番ちゃんとしている。

「衣装負けしてるの、わかってる」

「んーん。本当に、誰にも見せたくないくらい、綺麗だよ」

 会話をしながらウエイターにエスコートされて椅子に座った。テーブルの上には、磨き上げられた食器たちが礼儀正しく並んでいる。こんなところでご飯を食べた経験などない。なんだか緊張で吐き気が込み上げてきた。

「なんだかかしこまりすぎかな?」

「うん。こんなんじゃ、緊張で味もわかんないよ」

「ははっ。そうだね。じゃあ緊張を解そうか?」

「え?」

 なんの合図もなかったはずなのに、すっとテーブルにシャンパングラスが置かれる。見上げれば清潔感溢れる男性が、無駄の無い動きでロゼシャンパンを注いでくれていた。

「私、お酒は・・・」

 初めて匠くんと会った日のことを思い出すと、飲んでやらかすことはもう避けたい。

「大丈夫。今日はぐだぐだになるまで飲ませる気はないよ。全部、ちゃんと覚えていて?」

「・・・っ」

 目を細めた匠くんは、子どもの笑みなんかではなくてドクリと心臓が跳ねた。その表情に意味はありますか。勘違いしても・・・いいですか?

「い、ただきます」

「どうぞ、召し上がれ」

 こくりと一口飲めば、口の中で細かく弾ける炭酸に柔らかな甘み。

「美味しい」

「亜子ちゃんは甘いの好きだね」

 くすくすと笑って首を少し横に傾ける仕草、某CMの子犬みたいに可愛いからやめてください。

 運ばれてくる料理は私の好きなものばかりで、特にサーモンのやつが美味しかった。花も食べるんだよって言われた時、絶対嘘だと思ったのに本当でびっくりした。デザートはビターなチョコレートで、食後のデザートシャンパンとよく合っていてお皿まで舐める勢いで完食していた。


「すっごく美味しかった!」

 私の興奮は冷めることなく、後ろを歩く匠くんを何度も振り返りながら感想を述べる。シャンパンは飲みやすくて、匠くんに見られていなかったらボトルから直接飲んでしまいたいくらいだった。お陰で少し酔いの回った頭は、最近の悩みを忘れさせてくれている。

「気を付けて歩いてね」

「おっ、ととと「ああ、もう。こっちだよ」

 いつもより高いヒールは歩き難くて、よろめいた身体は匠くんに支えられていた。腕を引かれて入ったのは、船の中とは思えないくらい素敵な部屋だった。テレビとソファに、大きなベッドが置かれている。窓の向こうは暗くてよく見えない。

「見たい?」

「え?」

 パチと音が鳴った直後、部屋の電気が暗くなり外の様子が見えた。匠くんを入り口に残したまま、窓へと駆け寄る。遠くに煌めいているのはたぶん東京の街並み。暗い海は恐ろしいほど黒く、深い。そのコントラストは、夜の海が眠れぬ街を引き立てているようだった。まるで真っ黒な私と輝いている匠くんみたい。




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