月がきれいですね


「かんざし、って高いんだね。レンタルでこの値段」
斉木とふたり、訪れた式場の見学で、蒼子は目を丸くした。
「うん、結構するね」
その隣で、斉木も驚いた様子でかんざしに付けられている値段を見つめる。
「着物は結構するんだろうな、とは思ってたけど、かんざしもこんなにするのかあ」
蒼子は、自分の預金額を思い出し、うーんと唸る。
「まあ、でも、一生の一度のことだから。あ、これなんか、蒼子ちゃんに似合いそう」
品物を眺め、斉木はその一点を指差した。
「きれいだね。でも、私に似合うかな?」
「似合うと思う。白無垢にあのかんざし挿した蒼子ちゃん。見てみたいな」
にこりと笑って言う斉木に、蒼子は改めて向き直る。
「ね、貢くんは和装で本当にいいの?私が白無垢着たい、って言ったから嫌なのに無理してたりしない?」
和装で式を挙げたい。
そう言ったのは、蒼子だ。
蒼子には、子供の頃からの憧れの式というものがある。
それは、白無垢に身を包んで式を挙げるというもの。
だから、その願いを素直に口にしたら、斉木はあっさりと頷いてくれた。
そのことに感謝しつつ、それが本心か蒼子には不安でもあったのだけれど。
「してないよ。俺も、蒼子ちゃんの白無垢姿、凄く楽しみだし。あ、でも。お色直しで、一着はドレスも着てほしいな」
斉木は、偽り無い瞳で言ってくれる。
それにほっとして、蒼子はあることに気が付いた。
「あ」
思わず、出た声。
「なに?どうかした?」
それに、斉木は何かあったかと、首を傾げて聞いてくれる。
「貢くん。もしかして、貢くんも白無垢とかドレスとか着たい?」
周りを憚って、少し声のトーンを落として蒼子は聞いた。
斉木はゲイだと言っていた。
だとすれば、もしかして、と思った蒼子だったが。
「それは、ない」
斉木は、きっぱりと言い切った。
「ほんとに?」
それでも、それこそ無理していないかと蒼子が尚も言えば。
「絶対、ないから。俺、女装したいと思ったことは無いから安心して」
斉木は、苦笑しながら答えた。
「そっか。なら、いいけど」
それなら、と頷き返した蒼子に斉木がいたずらっぽい目を向ける。
「ね、もし俺がドレス着たいとか言ったら、どうするつもりだったの?」
斉木の問いかけに、蒼子は目をくるりと動かす。
「そうだなあ。着せてあげたいけど、式でふたりとも白無垢とかドレス着るわけにはいかないだろうし。あ!」
少し考えて、蒼子は、思い付いたように手を打った。
「なに?」
そんな蒼子を、斉木は楽しそうに見つめている。
「式の時は無理だけど、その後でふたりきりで、またレンタルして写真だけ撮るとかしたらどうかな?」
蒼子の発案に、斉木の瞳が優しくなる。
「蒼子ちゃんは、優しいね」
ぽん、と頭を撫でられて蒼子は斉木を見上げる。
「ね、貢くん。そぅやって考えればいいんだから、もし本当に着たかったら」
「それは無い、から」
言いかけた蒼子を遮って、貢が言い。
「判った。ほんとにしたくないんだね」
蒼子がわざとらしく難しい顔で頷いて。
「ふふ」
「ははっ」
ふたり揃って、笑い声をあげた。
それからも、ふたり仲良く式場を見て回り。
何かにつけ、出費がかさむと言うことを実感したふたりは、その帰り道、カフェというよりは歴史ある喫茶店と言う風情の店に、倒れ込むように座り込んだ。
重厚なつくりの椅子が、そんなふたりを優しく抱きとめる。
「結婚式って、お金かかるんだね」
コーヒーを注文し、疲れ果てたようにテーブルに肘を付いた蒼子に、斉木も大きく頷きを返す。
「俺、預金が心配になってきた。新婚旅行分が無い、かも」
本気で心配そうな斉木に、蒼子も溜息を吐く。
「同じく。ね、私思ってたんだけど、新婚旅行は、もう少し後でもよくない?」
かねて思っていたことを口にすれば、斉木が迷うように首を傾げる。
「それもありかとは思うけど。蒼子ちゃんは、それでいいの?新婚旅行も一生の思い出だと思うけど」
「そうなんだけど。でも、私達、普通の新婚になるわけじゃないし」
斉木といると楽しくて、忘れそうになるが、これは契約結婚だ。
その点を考えれば、新婚旅行に行かないのは、普通のような気が、蒼子にはする。
「それはそうなんだけど。でもね、蒼子ちゃん。覚えておいて欲しいのは、俺が君を本当に大切にしたいと思ってるってこと。そりゃ、普通の幸せとは違うかもしれないけど、それでも俺は君を幸せにしたいと思ってるよ」
言われて、蒼子は呆けたように斉木を見てしまう。
まさか、そんな風に言って貰えるとは思わなかった。
その気持ちで、斉木を見返す。
けれど、斉木にからかう様子は微塵もなくて、その言葉が本当なのだと、蒼子はじんわり温かい気持ちになる。
「私も。貢くんが、居心地いい、って感じられるような場所を作れるようにしたい」
誓うように言う蒼子の言葉に斉木は目を見開いて、そうしてゆっくりと嬉しそうに笑う。
「蒼子ちゃん。あったかい家庭を作ろうね」
「うん」
頷き合い、笑い合って、運ばれて来たコーヒーを口にする。
「でもまあ、取り敢えず預金の心配もあるから、新婚旅行は後にしよう?」
「そうだね。無理は禁物だし。それに、後にした方がちゃんといい場所とか選べるかもしれない。俺、頑張って働くから、任せて」
ぐ、と、拳を握ってみせる斉木に、蒼子は笑顔を浮かべる。
「うん、頑張ってね、旦那様」
「期待していてください、奥さま」
そして、茶化すように言った蒼子に、斉木もまた弾けるような笑顔で頷いた。
「でも、蒼子ちゃんが物凄く派手な結婚式したい、とか言わなくて本当に安心した」
コーヒーを口に運びながら、斉木が心底安堵したように言う。
「あ、それ私も思った。貢くんが、盛大に、大々的に結婚式する、とか言ったらどうしよう、って。私、親には、頼りたくないから」
蒼子の言葉に、斉木も頷く。
「俺も、結婚式は自分達でしたいって思ってたから。ほんと、嬉しかった」
ふたりの力で、結婚式をする。
そう言ったとき、両家の親は心底驚いた様子だったけれど、斉木も蒼子も自分の考えを変える気は無かった。
「とは言っても。親関係の招待客は、呼ばないと駄目だよねえ」
うんざりしたように言う蒼子に、斉木も溜息を吐く。
「まあ、仕事関係でお世話にもなるから、それは仕方ないよね」
互いに親が経営者なのだ。
流石に、その関係者を呼ばない、というわけにはいかない。
「でも、みんなお祝いに来てくれるんだもんね」
「そうだね。それに、俺ん家みたいな中小企業は、繋がりが命みたいな所あるし」
「わざわざ来てくれるんだから、感謝しなくちゃ、だね」
「だね」
うんうん、と頷きあって斉木と蒼子はカップを口に運ぶ。
やがて、そのカップが空になろうかという頃。
「それでね、蒼子ちゃん。これなんだけど」
やや緊張の面持ちで、斉木が取り出したものを見て、蒼子は目を丸くした。
それは、小さな丸みを帯びた四角いビロードの箱。
中身が何かなど、容易に想像が出来るもの。
「貢くん」
結婚を決め、それを親にも認められたのだから、蒼子と斉木は婚約者だ。
だから、それを斉木が用意してくれるのも当たり前なのかも知れないけれど、蒼子には何だか意外だった。
契約結婚、という思いがあったからかもしれない。
けれど、斉木はきちんと用意してくれた。
そのことを、とても嬉しいと蒼子は思う。
「蒼子ちゃんに選んで貰おうかとも思ったんだけど。これは、俺が選びたくて」
言いつつ開いた箱のなか。
そこには、光を反射して輝くダイヤモンドの指輪が鎮座していた。
「きれい」
思わず声が零れる、その輝き。
一粒の大ぶりのダイヤモンドが、きらきらと虹色の光を放っている。
本当に美しいそれを見つめる蒼子の目も、きらきらと輝く。
その瞳を見た斉木が、ほっとしたように眦を下げた。
「ただ、恥ずかしいことに、蒼子ちゃんのサイズが判らなかったから。大きいと思うんだ」
照れたように言う斉木に、蒼子は黙って左手を差し出す。
「蒼子ちゃん」
手の甲を上にして、手を差し出した蒼子。
その行動の意味するところを汲んで、斉木がそっと蒼子の手を取った。
「蒼子ちゃん。俺と、結婚してください」
改めて言って、斉木が蒼子の指にダイヤモンドの指輪をはめる。
「あ」
それは、蒼子の指には少し大きくて、ダイヤモンドの重さ分のように少し傾いでしまう。
「ああ、やっぱり大きいね」
蒼子の指で簡単に回ってしまう指輪を見て、斉木が苦笑する。
「でも、サイズ直し、出来るでしょう?」
「うん、出来るって言われてる。それに」
蒼子の手を取って、斉木はしみじみと指輪を眺める。
「どうしたの?」
そんな斉木を訝しく思って蒼子が聞けば。
「うん。この指輪を最初に見たとき、蒼子ちゃんが付けたらきっともっと綺麗だと思ったんだけど。その通りだったな、って」
さらりと斉木がとんでもないことを言った。
「は、恥ずかしいよ」
自分の顔が熱くなるのを感じながら、蒼子が言っても。
「どうして?だって、本当のことだよ。蒼子ちゃんによく似合ってるし、この指輪も持つべき人に持って貰って喜んでるように見える」
そんな風に言って、譲ることは無い。
「あ、ありがと」
けなされているわけではない。
むしろ、褒められているのだけれど。
本当に蒼子の指でその指輪が真の輝きを放っている、と思っているらしい斉木の様子に、蒼子は褒め殺されて恥ずかしい思いを味わう。
「じゃあ、今から直しに行こうか。結婚指輪も見たいし」
すっ、と伝票を持って斉木が立ち上がる。
「うん。そうしようか」
それに続いて蒼子も店を後にして。
「ごちそうさまでした」
ぺこりと頭を下げた。
「どういたしまして」
それに、斉木もそう答える。
付き合い始めてまだ少しの時間しか経っていないけれど、蒼子と斉木は何となく自分たちのペース、というものが掴みかけていた。
経済に関する意見が、一致していると感じられるそれは、蒼子にとって理想だったし、斉木もそのことは安心したと言っている。

貢くんとなら、上手くやっていけそう。

隣を歩く斉木の、自分より高い位置にある肩を見ながら、蒼子は心の底から安らぐ自分を感じていた。



『蒼子ちゃん、今平気?』
そう斉木から電話があったのは、ふたりで結婚指輪を決めて来た次の日のことだった。
蒼子はその日、普通に出社して、退社に向けての引き継ぎなどの業務をこなして来たところだった。
「うん、平気だよ。どうかした?何かあった?」
これから夕飯、という時刻。
いつもなら、忙しい時間だから、と斉木が電話を遠慮する時間帯。
その時間に、やや焦った様子で電話をかけてきた斉木の様子が気になって、蒼子は耳を強くスマホに当てた。
『うん。俺、今帰ったところなんだけど。そうしたら、親がびっくりするようなことを言い出したから、蒼子ちゃんもかな、と思って』
けれど、斉木の言葉は、要領を得なくて蒼子は首を傾げるばかり。
「びっくりするようなこと、ってなに?」
何があったのかと蒼子が不思議に思って尋ねれば。
『うちの親と、蒼子ちゃんのご両親で、俺たちにマンション、買ってくれるって言うんだ』
本当に驚いたのだろう、斉木の動揺する声が聞こえた。
「えええ!?」
けれど、驚いたのは蒼子も同じだ。
自分の親からは、何も聞いていない。
『蒼子ちゃん、まだ聞いてなかったんだ?』
蒼子の驚きようから、そう察したらしい斉木が未だ戸惑いの残る声で言う。
「聞いてないよ。父さんとは、今日も一緒に仕事したのに」
今日一日、普段と何も変わらない様子で蒼子とも一緒に仕事をした父。
その横顔を思い出してみても、いつも通り、会社では上司と部下でしかなかった。
『それで、色々条件とか、住みたい場所とか聞かれて。蒼子ちゃんと、そういえば未だ新居のこと相談してなかった、って気づいてさ』
言われて、蒼子も頷く。
「そう言えば、そうだね。大事なことなのに、抜けてた」
『うん。それに、賃貸のつもりだったから、まだいいかな、っていうのもあったな』
それがまさか、こんな展開になるとは斉木も思わなかったと、電話の向こうで溜息を吐いた。
「結婚式も自分たちでやる、って言ったから。お祝いのつもりなのかな?」
蒼子が呟けば。
『多分、そうだと思う。ね、どうする?甘えて、買ってもらっちゃう?』
その相談がしたかったのだろう、斉木の声が真剣になった。
「どうしようか。そりゃ、買って貰えれば経済的には物凄く楽だけど。でも」
住居に関して、蒼子は、ひとつ懸念していることがある。
『うん?なあに?何か心配ごとがあるの?蒼子ちゃん?』
それを、言ってもいいものかと口を噤めば、斉木が心配そうに聞いてくれる。
だから、蒼子も思い切って聞いてしまうことにした。
どうせ、いずれ聞かなければならないのだから、と自分に言い聞かせて。
「うん。あのさ、貢くん長男で跡取りでしょう?だから、ご両親と同居なのかな、ってちょっと思って」
思い切って言葉にすれば、斉木が電話の向こうで頷く気配がした。
『それなんだけど。両親は、後のことはともかく、最初はふたりで暮らした方がいい、って思ってるみたいなんだ。後のことが判らなくて、蒼子ちゃんには申し訳ないんだけど』
本当に申し訳無さそうに斉木が言う。
「後々は、同居かもしれない、ってこと?」
『うん、そうなる可能性はある。でも、実は弟夫婦が両親との同居を希望してるんだよね』
斉木には、既に結婚している二つ年下の弟がいる。
その妻が、斉木の両親との同居を希望していると言うのだ。
「へえ。義理のご両親と一緒に住みたい、って。言えちゃうひとなんだ」
蒼子は、未だ斉木の弟にも、その妻にも会ったことは無い。
近く行う予定の、両家の食事会で初対面は叶うだろう。
思いつつ、蒼子は何となく想像してみる。
義理の両親と同居したい、と言う女性。
それは、何となく自分に自信がなくて、可愛らしい感じがする。
『うん。凄く面倒見のいいひとでね。でも、まあ今はまだ俺が実家暮らしだから、遠慮してくれてるみたい』
だから、斉木が結婚となれば、それを機に同居したいのかもしれない。
蒼子は、そんな風に思う。
「そっか。じゃあ、同居のことはまだ考えなくて大丈夫だね」
それは、自分にとっては一安心だと、蒼子は息を吐く。
『うん。両親もゆくゆくは弟夫婦と同居、って考えてるのかも。だからこそ、俺たちには、マンションを買ってくれる、って言ってるのかもしれない』
考えるように斉木が言う。
「そっか。でも、うちの両親が、マンションを買ってくれる、って言うとは思わなかったな」
決して、親子仲が悪いわけでも、両親がケチな訳でも無いが、まさかマンションを買ってやる、なんて豪気なことを言うとは思わなかった。
『うちの両親が、無理言ったのかな?』
蒼子の言葉から、斉木が案ずるように言う。
「うーん、どうだろう。貢くんのご両親が、買ってあげるつもりなんだ、って話をうちの両親にして。それなら、お互い出しましょう、ってなったのかも、しれない。ごめん、うちの両親から言い出したとは思えない」
蒼子が言えば、斉木も電話越しに頷いた。
『それはありうる。何か、蒼子ちゃんのご両親に悪いことしちゃったかな?それなら、買って貰うのは、遠慮する?』
斉木が、そう提案するけれど。
「でも、折角のご好意だし。無碍にするのもなんかなあ」
『そうなんだよね。俺の母親なんか、物凄く張り切ってるし』
両親から貰う結婚祝い。
それにしても、大きな買い物のような気はする。
「まあ、とにかく。私は、うちの両親から言ってくれるの待ってみる。そのときの様子でどうするか考えてもいい?」
本当に、両親が無理なく買ってくれると言っているのか。
それを確認したくて蒼子が言えば。
『もちろん。なんか、急にごめんね。俺もびっくりして、そのまま電話しちゃったから』
斉木が、自分の焦りを後悔するように苦笑した。
「ううん。連絡くれて、嬉しかった。貢くんの声も聞けたし」
ひとり暮らしの家に帰って、これからひとりの夕飯を摂る蒼子は、斉木の声を聞いたことで温かい気持ちになれたと、自然と笑顔を浮かべる。
『俺も。蒼子ちゃんの声聞いたら、安心した』
そして蒼子は思う。
今、この瞬間。
この電話の向こうの斉木も優しい笑顔を浮かべている。
結婚すれば、それを直接見ることができるのだ。
「じゃあ、また連絡するね」
『うん。ほんと、急にごめん。あ、それから』
「なあに?」
『蒼子ちゃん。今日も一日、お疲れ様』
不意を突くように、斉木に言われ。
「貢くんこそ、お疲れ様」
蒼子は、更に胸が温かくなるのを感じながらそう言った。
『じゃあ、早いけど、おやすみ』
「おやすみなさい」
そうして、通話が途切れても。
蒼子の胸の温かさは、消えなかった。



「それでね、蒼子さん。このキッチンが凄くお薦めなのよ!」
華やかな声が響き、軽やかな足音が聞こえる。
その声の主は、斉木貢の母、しのぶ。
斉木と蒼子の結婚祝いに、マンションを買ってあげよう。
そう言い出した最初の本人であるらしい彼女は、見事に自分の旦那の了解も蒼子の両親の理解も勝ち取り、今日、蒼子と斉木と共に彼女お薦めの物件を見て回っている。
「このシンク、高さもいいですね」
しのぶの後に着いて歩きながら、蒼子は使い勝手のよさそうなキッチンに目を輝かせた。
「貢さん。蒼子は、料理が趣味のようなものなんですよ」
そんな蒼子を自慢するように、蒼子の母が声をかける。
「蒼子ちゃんは、家事が得意だって聞いています」
蒼子の母の相手をしているのは、斉木貢。
斉木も蒼子も義理の母の相手に忙しく、なかなかふたりでの意見交換が出来ない。
それでも、ぎすぎすした空気にもならず、どころか楽しい雰囲気に溢れているのは、ふたりの母親の機嫌のよさにもあるのだろうと蒼子は感じている。
『両家の両親が、マンションを買ってくれようとしているらしい』
と、斉木から電話を貰ってすぐ、蒼子は実母からの電話を取った。
いつも、居丈高な彼女が、その日のその声は物凄く機嫌のいいもので、蒼子と貢にマンションを買うことも、やぶさかではない様子だった。
それでも、蒼子が気になったのは、両親の経済事情。
けれど、その懸念を口にすれば、即座に。
『そのくらいの蓄えはあります』
と、返されてしまった。
それ以上言えば、逆に母の機嫌を損ねてしまうような気がして、蒼子は翌日、直ぐに斉木に相談した。
その結果、この際甘えて買って貰おう、と言うことになり。
まずは、両家の母親が物件を見て周り、その結果、良いと思うものを蒼子と斉木に薦める、という段取りになった。
そして、今日、幾つか回ったなかで、特にふたりの母親が気に入ったという物件。
そこで、蒼子と斉木はふたりの母の説明を聞いて歩く。
もちろん、正確な情報や規格は不動産会社のひとがやってくれる。
そうして、見て歩いたキッチンや、その他の水回り、陽あたりのいいリビングに、浴室。
それに、各部屋を見廻って、蒼子も斉木もその物件がとても気に入った。
「ねえ、貢くん。ここ凄くいいね」
ベランダからの景色を眺めながら言った蒼子に、斉木も笑顔で頷く。
「うん。凄く住みやすそう。買い物にも便利なようだし、静かな環境っていうのもいいね」
マンションを買って貰うにあたって、蒼子と斉木が条件として望んだのは、都下でもいいから静かな環境であることと、買い物に便利な場所であること。
そして、斉木の勤務先からそう遠くないこと、だった。
その条件すべてを満たす、この物件は、更に眺望も良く、斉木と蒼子の気に入った。
まあ、そのために、両家の母親が奔走してくれただろうことは、想像に難くないけれど。
「それに、四部屋もあるんだよ?ふたりで、それぞれの部屋も持てるし、一緒に過ごす部屋も持てるよ」
「うん。俺、結構本が多いから。一部屋、そういう書籍部屋みたいなの、もてると嬉しい」
「そうしたら、私もそこに私の本を置こうかな。ちょっとした図書室みたいだね」
笑い合って、計画を立てる。
「なら、ここを買って貰おうか?」
斉木の言葉に、蒼子も頷いて改めて外を眺める。
「これから、この景色を眺めながら洗濯物干したりするんだね」
蒼子が言えば、斉木がベランダの手すりに身体を凭せ掛ける。
「ね、蒼子ちゃん。俺には、洗濯機のこととか冷蔵庫の使い勝手とか、良く判らないから。蒼子ちゃんに任せちゃうことも多いと思うけど。よろしくね」
ごめんね、と言う斉木に、蒼子はいたずらっぽい笑みを向ける。
「でも、一緒に買いには行ってね。それで、判らなくても話しを聞いて」
「それは、もちろんそうするよ。任せると言っても、ちゃんと一緒に行く。他の物も、一緒に選ぼう」
これから買う物はたくさんある。
蒼子と斉木は、ざっとリストを並べて、その数の多さに閉口した。
「ま、まあ。絶対必要な物を優先して買って。で、ここに設置して。引っ越してからでもいい物は、ゆっくり揃えればいいかな?」
蒼子が言えば。
「そうだね。色とか形とか。もしかしたら、俺たち壊滅的に趣味が合わないかもしれないし。そしたら、ゆっくり相談しよう」
軽く言った斉木に、蒼子はぎょっとしたような目を向ける。
「壊滅的に、趣味が合わない。そっか、そういう可能性もあるよね」
「まあ、あるだろうね」
のほほんと答える斉木に、蒼子は身体ごと向き直った。
「ね、貢くん。入浴剤はどこのを使ってる?洗濯洗剤は?柔軟剤は?」
それら生活必需品。
嗜好が合うかは大事なことだと、詰めよるように聞く蒼子に、斉木が声を立てて笑う。
「俺は、どこのでもいいよ。蒼子ちゃんが好きなのにするといい」
言われて、蒼子はほっと胸をなでおろした。
「私、どうしても、っていう拘りがあって。あ、もちろん、ちゃんと安売りの時を狙って買うから安心して。それに、贅沢もしたいと思わないし」
むしろ自分は貧乏性だと認識している蒼子は、斉木の生活水準が心配だと改めて思う。
けれど。
「家計は、任せるから。よろしくね。あ、あと俺の給料でちゃんとやりくりしてね。蒼子ちゃんなら、心配ないと思うけど」
そう言われて、肩の荷が下りた気がする。
「任せて。節約は得意なの。でも、ケチくさくもしないからね」
その加減は得意だと、蒼子が胸を張れば。
「うん、任せた。頑張って稼いで来るからね」
言いつつ、斉木は自分の手取りを蒼子に告げる。
「それだけあったら、充分。マンションを買って貰うんだもん。賃貸料もローンもいらないんだよ?食費と雑費、それにマンションの管理費だけだもん。ちゃんとやれる」
その金額なら、何も問題は無いと蒼子は笑う。
それからも蒼子と斉木は、ふたりのこれからの生活を語り合い。
そんな楽し気な斉木と蒼子を、両家の母も好ましい笑顔で見つめていた。
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