センチメンタル・ファンファーレ
勝者であるはずの川奈さんは、テーブルに顎をのせてうずら串を食べている。

「いやー、俺なんて生きてる意味ないもん。あんな手指してるようじゃ」

山海山をすでに半分も飲んでいるお兄ちゃんは、堪え切れない笑いを漏らして言う。

「ああ、今日のはひどかったな。あんなの一目だろ」

「わかってるよ! 棋士160人中160人全員が一目で▲同歩成だよ!」

「▲同歩成 △同飛車 ▲同飛車成 △同金 までなら小学生でもわかる」

「俺だってわかってた! ずーーっとその順しか読んでなかったし、そこから▲3五歩の攻めを考えてたんだけど、ギリギリになってさ、」

「▲4四桂打ち?」

「馬鹿すぎる~~~。死んでお詫びしたいけど、誰に?」

「まあ、長考して最後に浮かんだ手を指しちゃうってのは、ありがちだよな」

「馬鹿すぎる~~! 俺、世界初“馬鹿すぎて死んだ男”っていう錦を故郷に飾るかも~~~」

「そんな汚ねえ錦じゃ故郷も迷惑だな」

「深瀬さんの故郷はこざっぱりして見通しいいよねー。何の錦もなくってさ」

投げつけられたおしぼりをかわして、川奈さんはくりんと、ちなちゃんを見上げた。

「千波さん、慰めて」

「ダメ。私、婚約中」

「そっか、残念」

特段残念そうでもなく引き下がった川奈さんに、お兄ちゃんは鋭く告げる。

「それ以上は言うなよ」

「言わないよ。弥哉ちゃんに言い寄ると、怖ーーいお兄ちゃんが怒るからね」

震え上がるリアクションが、ものすごく腹立たしかった。

「子どもみたいに言わないで。お兄ちゃんなんて関係ない。普通に彼氏だっていたし!」

「過去形?」

「……この前、別れた」

「あれれ、なんかごめーん」

「ねえ、お兄ちゃん、この人軽い!」

「ただの屍だ。ほっとけ」

背中を丸めてビールを飲む川奈さんを、私は睨みつけた。
くたびれたスーツ姿だったからわからなかったけれど、もっとくたびれたTシャツにハーフパンツ姿だったら、ポストやゴミ捨て場で見かけたことがあるような気がする。
が、それも口の中に残るストロベリーリキュールの甘味で掻き消えてしまうほど、ささやかな記憶だ。

「そんなに辛いなら将棋なんてやめちゃえば?」

川奈さんは小首を傾げて私を見る。

「マニアックなゴムパッキン売ってる会社の事務してる私と違って、川奈さんは好きなことしてるんだからいいじゃない。これ以上何を望むっていうの?」

パチパチとまばたきをして、彼はしっかりとうなずいた。

「それ、ホントそう。将棋やめるなんて考えたことない。よーし、復活!」

「復活早すぎ。しばらく死んでろ」

お兄ちゃんの悪態なんてかすりもしないらしく、急に背筋が伸びて、ちなちゃんがよそった釜飯をもりもり食べ始める。

「俺、事務なんて無理。そもそも毎日ちゃんと起きて会社に行くなんて無理。みんな偉いな」

「川奈くんも偉いよ。ちゃーんとゴミ出しは朝にしてるじゃない。あのアパート、夜に出しちゃう人も多いのに」

「えへへ、そうですか」

「はい、ご褒美。あーん」

「いただきまーーす」

ちなちゃんが差し出したベーコン巻きの串を、川奈さんは笑顔で頬張り……むせた。

「うわっ! これ……トマト!」

「ぎゃはははは!」

「もう~~、最悪の最悪~~~~」

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