探偵さんの、宝物
「私、自分の名刺を持ったことがなくて、憧れていたんです。
 しかも初めての名刺がこんなに素敵だなんて……。
 楓堂さん、ありがとうございます」

 尾花さんがそう言っても、夢の中で声を聞いているようだった。
 静かになった部屋で、壁に掛けられた振り子時計が往復する音で目が覚めて、慌てて返事をする。

「ああ、すみません。
 そんなに喜んで頂けると思っていなかったので」
 笑って答えるが、心配そうに顔を覗き込まれてしまう。
「もしかして、お疲れですか?」
「いえ、大丈夫です。
 ……では、今日の予定についてお話ししましょう」

 僕は体調は万全ですと言う風に背筋を正し、話題を転換した。

「今日の午後、依頼者の方がいらっしゃいます。
 下見調査は終えているので、最終打ち合わせをして明日から調査開始します。
 勿論、尾花さんにも来て頂きますよ」
「明日からですか? 私、何も分からないんですが……」
 尾花さんは上目遣いで、不安そうにこちらを見ている。

「これから調査の流れや注意点を説明します。
 ですがいくら勉強したとしても、実際の調査は一朝一夕に出来るようなものではありません。
 僕がついていますから、焦らずに、現場で段々と学んでいきましょう」

 僕は安心させたくて、笑顔で言った。



 彼女が何故僕の事務所に来てくれたのかは分からない。
 簡単な仕事ではないが、願わくば、長く続けてほしいと思う。
 それは、女性の調査員が女性対象者の尾行に適するとか、そんな真面目な理由ではない。

 「ありがとうございます、頑張ります」と頷いた貴女は、いつまでここに居てくれるだろうか。

 少しでも貴女を見ていたい、一重に僕の我儘だった。
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