きみこえ
バレンタイン if Liqueur BON BON


 バレンタインの昼休み、ほのかは保健室の扉を開いた。
 目的は一つ、時雨にバレンタインチョコを渡す為だ。
 扉は難無く開き、目的の人物は正面のデスクで書類に目を通しているところだった。
 時雨は扉が開く音に気が付き振り返った。

「ああ、ほのかちゃん」

 時雨は一目ほのかを目にすると嬉しそうに顔を(ほころ)ばせた。
 ほのかはチョコを後ろ手に持ちながらそろりと保健室に入った。
 いつもと違って少し顔の赤いほのかを見ると時雨は勢い良く立ち上がり、ほのかに近付いた。

「どうかしたのかい? 風邪? 食あたり? とにかく今すぐに薬を・・・・・・」

 慌てて薬を探そうとする時雨をほのかは袖を引っ張って引き止めると、後ろに持っていたチョコを渡した。

「これは・・・・・・バレンタインの?」

 時雨はハッとした様に目を丸くしてそれを見ていた。

【時雨先生、いつもありがとう】

「ああ、ありがとう」

 時雨はそれを宝か何かでも受け取るかのように感極まった様子で受け取った。

「ああ・・・・・・、ほのかちゃんからチョコを貰えるなんて」

【でもチョコなら沢山もらってるんじゃ?】

 奥のデスクの上を見ればチョコの山が出来上がっていた。
 恐らく引き出しの中やカバンの中に入り切らずそうなっているのだろう。

「他の生徒や先生のとはまた別だよ。ほのかちゃんのだから特別なんだ!」

 そう言われてほのかは頭に大きなクエスチョンマークを浮かべた様な顔をした。

「早速頂こうかな」

 デスクに腰を掛けると、時雨はいそいそと紙袋からチョコの箱を取り出した。
 時雨はシックな茶色い包装紙を丁寧に開き、箱の紐を解いた。
 箱の中には十粒の光沢のある四角い形のチョコが入っていた。
 ほのかは時雨の好みがよく分からなかったが、いつも時雨にはお世話になっていた為、大人の男性に似合いそうなチョコを一生懸命選んだつもりだった。
 気に入って貰えるだろうかと、時雨の口にチョコが運ばれていくのを緊張した面持ちでほのかは見つめていた。

「うん、美味しい・・・・・・ん?」

 美味しそうに食べていた時雨の顔が一瞬強張(こわば)り、ほのかはやはり口に合わなかったのかと心配になった。

「これ、もしかしてお酒入ってる?」

 ほのかはそう問われてコクコクと首を縦に振った。

「そう・・・・・・」

 時雨は口を手で押さえながらゆらゆらとした足取りで扉の方に向かった。
 ほのかは、もしかしたらあまりの不味さに吐き捨てにでも行くのだろうかと不安になった。
 時雨は扉の外に掛けてある札を『外出中』にひっくり返すと扉の鍵を掛け、部屋中のカーテンを締めてほのかの方に戻って来た。

【なぜ鍵とカーテンを・・・・・・?】

 ほのかは不思議に思ってそう問うと、時雨は顔を上げて言った。

「それはねー、い・け・な・い・こ・と、したくなっちゃったから」

 時雨の顔はほんのりと赤くなり、目はとろんとし、口調もいつもより陽気になっていた。
 所謂、出来上がった状態だった。
 時雨はほのかをお姫様抱っこで抱き上げるとベッドに腰掛けさせた。

「ふふ、ほのかちゃん・・・・・・」

 時雨はほのかを逃がすまいと左右に手をつき、ベッドを軋ませた。
 顔が近い・・・・・・。
 時雨の瞳は酒のせいか熱を帯び、いつも以上に色気が出ていた。
 すぐ側で感じられる時雨の吐息には、ほろ苦いチョコの香りと、甘ったるいお酒の香りが混ざりあって、まるで媚薬でも嗅がされてるみたいに頭がクラクラし、心臓は今にも壊れそうだった。

「ねえ、僕のお願い・・・・・・聞いてくれる・・・・・・?」




 なぜこんなことになっているのだろうか、ほのかは今現在自分が置かれている状況に赤面しながらそう思った。
 二人きりの保健室、目の前には横たわる時雨・・・・・・、そう、時雨はほのかの太ももに頭を乗せ寝ていた。
 これをなんと言うかほのかは知っていた。
『The・膝枕』である。

「あー、気持ちいい」

 時雨は酔いが回っているのかウトウトとしていた。
 時雨は気持ち良さそうだが、ほのかは時折太ももに当たる時雨の髪がこそばゆく感じ、何よりも顔が近い状態が続くことに心臓の鼓動は早鐘を打ちっぱなしだった。

【お酒弱いの知らなくてごめんなさい】

「んー? まあ、お酒が嫌いとかじゃないんだ。好きだけど・・・・・・、こーなっちゃうから普段人前では飲まないようにしててね」

【他のチョコと取りかえる】

「む、それはダーメ! だって、初めてほのかちゃんが選んでくれたチョコだもん。誰にも渡さないし、僕だけの物なんだからぁ」

 まるで子供の様にだだをこねる時雨はなんだか可愛く思え、いつもとはまた違う一面が見れてほのかは嬉しくなった。
 また一つ、時雨のことを知れた。
 従兄妹同士とはいえ、今まで正月位しか会うことがなく、知らない事は沢山あった。

【でもなんで膝枕?】

 寝るだけならベッドの上で十分だった。
 太ももの上は狭く、油断すると下に落ちかねない。

「うん・・・・・・、久し振りにしてみたくなってね・・・・・・」

『久し振りに』そんな言葉を聞いて、ほのかは過去に誰かにしてもらった事があるのだろうか? という考えが浮かんだ。
 誰に? 彼女に・・・・・・?
 そう考えるとほのかはなぜか胸がチクリと痛んだ。
 そこに自分の知らない時雨の過去がある様で寂しくもなった。

【時雨先生久し振りって?】

 時雨はスケッチブックを持つほのかの手首を掴んだ。

「しーぐーれ、時雨って呼んでよ」

 学校では先生と呼べと言ったのは時雨なのにとほのかはおかしくなって笑った。

【学校では先生じゃないの?】

「今はいーの! 他に誰も居ないもん」

【時雨兄】

「違ーう、ただの時雨」

 お酒に酔うと急に我儘で、甘えん坊になるのだなとほのかはそう思った。
 これは確かに人前でお酒は飲めそうにない。

【時雨】

 実際声に出している訳でもないのに、ほのかは恥ずかしく思いながらも頑張ってスケッチブックにそう書いた。
 しかし、時雨には何の反応もない。
 よく顔を見ると静かな寝息をたてて眠ってしまっていた。
 ほのかは愛おしげに時雨の柔らかい髪を撫でると昼休みギリギリまで寝かせてあげることにした。
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