きみこえ
君の背中に恋してる SPINOFF 前編



 始まりは春。
 入学式が終わり、自分の教室の席に着いた時、前に座る男の子の背中が最初に目に入った。
 彼は暑がりなのか制服のブレザーを脱ぎ椅子に掛けていた。
 その背中は細身で、形の良い肩甲骨がくっきりと見え、私はその背中が何故だかとても綺麗だと思った。
 そう、きっと私はこの時すでに彼の事が気になり始めたのだろう。

 彼が動く度に、その美しい骨は活発に動いた。
 私はそれをつい目で追ってしまう。
 お父さんの広い背中と比べても、担任の少し猫背の背中と比べても、このクラスに居るかなりモテる二人の姿勢の良い背中と比べても、彼の背中の様に惹かれるものはなかった。
 十五年間と数ヶ月生きてきて、自分がこんなにも異性の背中に惹かれるとは思ってもいなかった。
 これが背中フェチというものだろうか?
 普段BLを描いているせいなのだろうか?
 確かに、その背中は絵の参考になりそうだったけど、モデルにしたいとか、スケッチしたいとか、そう思う訳でもなかった。

 そしていつしか、私はいけないと分かりつつもその背中への憧れは触れたいという衝動に変わった。
 私は手を伸ばし、緊張しながらもほんの指の先で彼の背にそっと触れた。

「うわっ」

 彼の悲鳴を聞いて、私は我に返った。
 ああ、やってしまった。
 私はついに彼の背に触れてしまったのだ。
 私は慌てて人差し指を彼の背中から離した。
 彼は「なんだよ」と言って後ろを振り返った。
 私は返答に困りながら、触れてしまった言い訳を脳みそアクセル全開で考えた。
 そして、彼に見られないように自分の消しゴムをそっと前方に転がした。

「あ、ごめん、そこの消しゴム取ってくれる?」

「んん? ああ、これか?」

 彼は私の作戦通り疑問に思う事無く消しゴムを拾った。

「ほらよ」

 彼は笑って消しゴムを手渡してくれた。
 その屈託のない笑顔に、私の胸がときめいたのは言うまでもない。

「ありがとう」

 それから私はそのイタズラに味をしめ、あの衝動がやってくる度に消しゴムやらシャーペンやらを床に転がした。
 背中に触れる面積も、ちょっとずつ指先から指の腹でなぞる様にしたり、指の本数を増やしてみたり、触れる時間も一秒、二秒と長くなっていった。
 そして、ついには(てのひら)全体でその背に触れていると彼が振り返り「おい!」と声を出し、私はビクリと肩を震わせ目を閉じた。

 しまった、やりすぎた。
 そう思った時には手遅れだった。
 彼はなんと言うだろうか?
 迷惑だっただろうか?
 嫌だっただろうか?
 このまま嫌われてしまうのだろうか?
 私は悲観的な考えを頭の中で巡らせながら彼の言葉を待った。

「お前さ・・・・・・」

 その声は少し困惑気味だった。
 私はそっと瞳を開け、彼の顔を見た。
 彼は赤くなった頬を掻いて言った。

「その・・・・・・前から思ってたけど、そんなに好きなのか?」

 その言葉に私はドキリとした。
 どうしよう?
 なんて言えばいいの?
 心臓は滅茶苦茶になるんじゃないかと思うくらい早鐘を打った。
 きっと今、私の顔は彼よりも赤くなっているだろう。
 なかなか返事を思い付けずにいると、彼はそっと私に耳打ちをした。

「背中に興味あるのは分かったけど、これってセクハラじゃね? 触り方が妙にエロいんだけど・・・・・・」

 顔からカッと火が出るかと思った。
 すでに赤くなっていた私の顔は更に色を増していたことだろう。

「う、うるさいな! ずっと叩くのに丁度良さそうだなって我慢してただけなんだから!」

 そう言って私は可愛げもなく彼の背中を力強く掌で叩いた。
 教室に響く程良い音がした。

「いってーー!! この暴力女!」

「二人とも、授業中は静かに!」

「はい、すみません」

 自業自得、先生には怒られるしクラス全員に笑われてしまった。



 あれから、すぐに席替えが行われ、私は彼とは離れ離れの席になってしまった。
 席が離れてしまい、接点のなくなった私は彼の背に触れる事も出来なくなってしまった。
 ただ、遠くから彼の背中を見つめ、時折挨拶をするくらいだった。
 また、席替えで彼と席が前後になる確率はどれだけだろうか?
 少し計算しただけで明らかに奇跡みたいな数字が垣間見え、私は考える事を放棄した。



 それから秋になり、好機が訪れた。
 春に決めた文化祭実行委員だ。
 彼が最初に文化祭実行委員に先生から指名され、私は席が後ろというだけで同じ委員にされてしまっていたのだった。
 あの時は席が前後だったせいで面倒な委員にされたと恨んだものだが、今となっては先生に感謝していた。
 これで彼に近付く口実が出来た。



 文化祭の準備期間中は幸せな時間だった。
 席が前後だった頃みたいに気軽に話をする事が出来た。
 そして、勿論あの衝動もやって来たが、私はそれを必死に抑えていた。
 また変な事を言われたくもなかったし、嫌われたくなかったからだ。
 ただ近くで眺められるだけでも私は幸せなのだ。
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