騎士団長と新妻侍女のひそかな活躍
〝花瓶の水をぶちまけた日〟以降、エルシーが変わったように、この数年でヘクターの心境にも何か変化が訪れたのかもしれない。事実、あの日の出来事がきっかけで今の自分はある。そう思うと、いつまでも過去にとらわれることの無意味さを痛感した。

「……もういいわよ。私も話で解決するよりも前に思わず手が出たこと、謝るわ。ごめんなさい」

 エルシーの言葉が意外だったのか、ヘクターは嬉しそうに笑顔を浮かべると彼女の両手を握って、ぶんぶんと上下に振った。

「そ……そうか。良かった、君にはずっと謝りたいと思っていたけど、気まずくてなかなか……。でも、これで仲直りだな!」
「わかったから、もう手を離してくれない? そんなに強く握られたら抜けないわ」
「ああ、ごめん、つい嬉しくて。でも、見ないうちにすっかり大人の女性になったな。前から美人だと思っていたけど」

 ヘクターは、少し名残惜しそうにエルシーの手を離した。

「ところで、今頃パートナーが君を探しているんじゃないか?」
「今日はひとりよ。母と弟は家にいるわ」
「……そうか」

 エルシーの回答で、ヘクターは彼女がまだ独り身であることを薄々感じ取ったのかもしれない。視線をわずかに逸らし、なぜか小さく頷いている。

 行き遅れだと思われたのは仕方ないが、実はもうすぐ結婚予定だと伝えるのも、負け惜しみにしか聞こえないだろう。それに、ヘクターとはそれほど親しかったわけでもないので、わざわざ自分の近況を教える道理はない。

 エルシーは、簡単に別れの挨拶を述べると、回廊を戻り始めた。ヘクターは何か言いたげに口をもごもごと動かしていたが、先ほどの女性に鉢合わせるのを躊躇してか、エルシーを追ってはこなかった。










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