心がささやいている
でも、理由はどうであれ…。心の声が聞こえて来ないということが、こんなにも気が休まるものだとは思ってもみなかった。
あの時、母の『声』を聞く以前は、ずっとそれが当たり前のことだったのに。

表に出ている表情や言葉。それとは別の…隠された感情、本音。
それは時に、建前(タテマエ)だったり思惑だったり。気遣いや憐れみだったり。
喜びや悲しみ、愛情、怒り。驚きや諦め、嫌悪、恐怖、不満、羞恥。
人は皆、何かしら心に秘めた感情を持っている。
自分では、そんなことを思わないようにしようとか、考えないようにしようと思っていても、心に浮かんで湧いてしまうのが感情であり、本音だ。
でも、それは自然なことで。感情を持っている者にとっては、ごく当たり前のことだ。
そして、敢えてそれを外には出さず、皆がそれぞれ上手く関係を保ち、成り立っているのが社会なのだと思う。

そんな秘められた個々の心を見透かしてしまう能力なんて必要ない。私は、そう思う。
そんなものは、存在してはいけないのだ。誰だって心の内を覗かれたくはないし、知られたくない。
もしも、それが聞こえてしまっている事実を知ったら…。きっと、誰もが私を気持ち悪がり、恐れ、離れていくに決まっている。

そう。母のように…。



「ん?どうした、月岡?」
「……あ…」

自分の思考に囚われていたのか、気付けば足を止めてしまっていた。
少し先から自分を振り返り、同様に足を止めて待ってくれている幸村くんに「なんでもない」と、ゆっくり歩み寄った。
彼は、こちらの様子を伺うように不思議そうな顔を見せていたが、やはり何も聞こえては来なかったことに、少しだけ安堵する。

「そういえばさ、俺あんたに聞きたいことがあったんだよ」
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