暗闇の中で
午後の日差しが差し込む教室の教壇で、道徳の教師・小泉は静かにチョークを置いた。生徒たちの目は、どこか焦点の定まらないまま、手元のスマートフォンに向けられている。
「なぜ、僕たちは人と関わることをやめてしまったのか」
小泉の問いに、教室の隅から声が上がる。
「コロナのせいじゃないですか? 障害者と手を繋いだらエイズになるって、みんな言ってますし。怖くて触れ合えないのは当然ですよ」
小泉はため息をつき、教壇を叩いた。
「いいかい。障害者の手を握っただけで感染するなんていうのは、根拠のない迷信だ。HIVは握手や会話では感染しない。その事実すら、私たちは恐怖を正当化するために歪めてしまっている。君たちが人と関わらなくなったのは、ウイルスという不可視の敵のせいじゃない。もっと単純で、残酷な理由だよ」
小泉は教室を見渡した。
「君たちがゲームに没頭し、オンラインの絆に安らぎを見出したからだ。面倒な人間関係を断ち切り、自分にとって都合の良い『関係性』だけをデジタルの中に構築した。それがコロナという事態と重なったことで、私たちは『関わらないことの心地よさ』を学習してしまったんだ」
生徒たちは顔を見合わせ、苦笑する。「まあ、1日10時間ゲームしてれば、確かにリアルな人間はノイズにしか思えませんね」と誰かが呟いた。
その頃、都内の会議室では、秋生が持ち込んだ資料を前に、ある感染症専門医と若手国会議員が声を潜めていた。
「『コロナ後遺症』という名の免罪符は、限界です」
秋生は冷めたコーヒーを飲み干した。「現場の医師も学会も、薄々感づいているはずだ。これはウイルスによる直接的な後遺症ではない。コロナというストレスをトリガーにして、元々潜伏していたアレルギー疾患が増悪しているだけだ。鼻が詰まり、脳への酸素供給が滞り、無気力になる。それがアレルギー疾患の帰結なら、なぜ国はそれを『後遺症』として公金で守る必要がある?」
専門医は眼鏡を拭きながら、重苦しい表情で応えた。
「認めれば、これまで長年、自力でアレルギーと闘い、税金を払い続けてきた何百万もの国民が黙っていないでしょう。不公平感の連鎖が始まる。だが、このまま『後遺症』という空虚なラベルに予算を注ぎ続ければ、労働力は消滅し、社会の回路は焼き切れる」
国会議員が机を叩いた。
「だが、予算を打ち切れば『弱者切り捨て』という世論の猛反発を食らう。誰も真実を言えない。アレルギー疾患を抱える者たちが、自分たちの苦しみに対する正当な評価を求めて声を上げれば、この『コロナ後遺症』という巨大な嘘は崩壊する」
秋生は窓の外を見た。遠く稲毛駅のホームでは、今日も誰かが「正当な理由」を求めて立ち尽くしている。
「嘘をつき続ける方が楽なんだ。真実を語って社会構造の不平等を浮き彫りにするより、誰もが納得できる『見えない敵』のせいにし続けるほうが、政治的には合理的だからだ」
小泉の教壇での言葉と、会議室での冷徹な論理が、虚空で重なる。
教室の生徒たちは「ゲームの方が楽しい」と笑い、国会議員たちは「嘘を維持すること」に腐心する。この世界は、科学的な真実さえも、利便性と恐怖という名のフィルターを通してしか見ることができない。秋生は思う。僕たちが失ったのはウイルスへの対抗手段ではない。不快な真実と向き合い、他者と摩擦を起こしてでも生きようとする、あの泥臭いエネルギーそのものなのだ、と。
「なぜ、僕たちは人と関わることをやめてしまったのか」
小泉の問いに、教室の隅から声が上がる。
「コロナのせいじゃないですか? 障害者と手を繋いだらエイズになるって、みんな言ってますし。怖くて触れ合えないのは当然ですよ」
小泉はため息をつき、教壇を叩いた。
「いいかい。障害者の手を握っただけで感染するなんていうのは、根拠のない迷信だ。HIVは握手や会話では感染しない。その事実すら、私たちは恐怖を正当化するために歪めてしまっている。君たちが人と関わらなくなったのは、ウイルスという不可視の敵のせいじゃない。もっと単純で、残酷な理由だよ」
小泉は教室を見渡した。
「君たちがゲームに没頭し、オンラインの絆に安らぎを見出したからだ。面倒な人間関係を断ち切り、自分にとって都合の良い『関係性』だけをデジタルの中に構築した。それがコロナという事態と重なったことで、私たちは『関わらないことの心地よさ』を学習してしまったんだ」
生徒たちは顔を見合わせ、苦笑する。「まあ、1日10時間ゲームしてれば、確かにリアルな人間はノイズにしか思えませんね」と誰かが呟いた。
その頃、都内の会議室では、秋生が持ち込んだ資料を前に、ある感染症専門医と若手国会議員が声を潜めていた。
「『コロナ後遺症』という名の免罪符は、限界です」
秋生は冷めたコーヒーを飲み干した。「現場の医師も学会も、薄々感づいているはずだ。これはウイルスによる直接的な後遺症ではない。コロナというストレスをトリガーにして、元々潜伏していたアレルギー疾患が増悪しているだけだ。鼻が詰まり、脳への酸素供給が滞り、無気力になる。それがアレルギー疾患の帰結なら、なぜ国はそれを『後遺症』として公金で守る必要がある?」
専門医は眼鏡を拭きながら、重苦しい表情で応えた。
「認めれば、これまで長年、自力でアレルギーと闘い、税金を払い続けてきた何百万もの国民が黙っていないでしょう。不公平感の連鎖が始まる。だが、このまま『後遺症』という空虚なラベルに予算を注ぎ続ければ、労働力は消滅し、社会の回路は焼き切れる」
国会議員が机を叩いた。
「だが、予算を打ち切れば『弱者切り捨て』という世論の猛反発を食らう。誰も真実を言えない。アレルギー疾患を抱える者たちが、自分たちの苦しみに対する正当な評価を求めて声を上げれば、この『コロナ後遺症』という巨大な嘘は崩壊する」
秋生は窓の外を見た。遠く稲毛駅のホームでは、今日も誰かが「正当な理由」を求めて立ち尽くしている。
「嘘をつき続ける方が楽なんだ。真実を語って社会構造の不平等を浮き彫りにするより、誰もが納得できる『見えない敵』のせいにし続けるほうが、政治的には合理的だからだ」
小泉の教壇での言葉と、会議室での冷徹な論理が、虚空で重なる。
教室の生徒たちは「ゲームの方が楽しい」と笑い、国会議員たちは「嘘を維持すること」に腐心する。この世界は、科学的な真実さえも、利便性と恐怖という名のフィルターを通してしか見ることができない。秋生は思う。僕たちが失ったのはウイルスへの対抗手段ではない。不快な真実と向き合い、他者と摩擦を起こしてでも生きようとする、あの泥臭いエネルギーそのものなのだ、と。