溺愛の価値、初恋の値段
「したね」
並んで歩いているくらいなら、何とでも説明できるだろうけれど、さすがにキスシーンは言い逃れできないと思う。
「どうして? 写真を撮られたりしたら、マスコミとかネットで……」
「べつに不倫してるわけじゃないし、気にすることない」
「でも、こ、公共の場で、普通はキスしないと思うんだけど?」
「そう? 俺にとっては、普通だけど」
「ソウデスカ……」
十年も外国で暮らしていれば、日本人でも人前でキスするくらい、なんとも思わなくなるのだろうか。
「海音は、さっきのキスが不満なの?」
「まさかっ!」
「俺は、不満だけど。もっとしたいのに、我慢してるから」
色気たっぷりのまなざしで見つめられ、そんなことを言われたわたしは、へなへなとしゃがみこみそうになった。
「海音っ!?」
飛鷹くんに抱きかかえられ、その胸に顔を埋める。
「もう……無理」
「何が?」
「飛鷹くんが、別人のようで……」
基本的に愛想がなくて、口調もぶっきらぼうで、時々意地悪で、時々優しいのがわたしの知る飛鷹くんだ。
昨夜のように大人の男の人で、今夜のように甘い恋人の飛鷹くんは、知らない。
「十年も経てば成長するでしょ。ガキの頃にはできなかったことも、自然とできるようになるし」
「…………」
昨夜のようなことが、自然にできるようになるとは思えなかった。
いくら人間には本能が備わっているとしても。いくら人間には想像力が備わっているとしても、だ。
「いや、まあ……その辺は、勉強したけど」
ぼそぼそと言い訳する飛鷹くんに、「誰と勉強したの?」と思わず訊きそうになって、唇を噛む。
あの元カノとかもしれないし、二次元の彼女がいてもいいと言う人だって、いたかもしれない。
どうしてかわからないけれど、胸がぎゅっと引き絞られるように痛む。
「俺も海音も大人になったんだから、あの頃とは違う付き合いをするべきなんだよ」
「違う付き合いって……?」
「そのうちわかるよ。ほら、あとちょっとだから、歩いて。歩けないなら、抱いて運ぶけど?」
「い、イイエっ! 歩けますっ!」
飛鷹くんは、ぎこちない歩みのわたしを引き連れて、目抜き通りから一本入ったところにある一軒家のようなお店にやって来た。
「ここだよ」
『SAKURA』と書かれた表札のような小さな看板が、スポットライトで控えめに照らし出されている。
飾り気のない、しかし艶やかな木のドアがさりげなく高級感を漂わせていた。
ふらりと入るようなお店ではない。
「でも……閉まってるよ?」
ドアには、閉店のサインがぶら下がっている。
「大丈夫。ちゃんとこの時間に予約したから」
そう言って、飛鷹くんはためらいなくドアを押し開けた。