溺愛の価値、初恋の値段
日曜日のさくら


駅の周辺は、まだ人通りはあるものの、独り歩きの女性よりも、お酒の匂いをさせたビジネスマンや派手な恰好をした若者たちのほうが圧倒的に多かった。

待ち合わせ場所として利用されている広場には、人目も気にせずいちゃついている人たちもいる。

暗がりでキスをしているらしき人影に、さっき目にしたものを再認識した。




(キス……してた)





「うっ……」





嗚咽が漏れそうになって、唇を噛む。


ギョッとして振り返る人の目を避けるように、駅を背にして歩き出す。

泣き止まなくてはと思うのに、涙は一向に止まらない。

あまり人通りのないところをウロウロするのも怖くて、繁華街の路地裏を歩いていたらいきなり呼び止められた。


「……海音さん?」


声のした方を見るとお店らしき扉の前に、数人の人影がある。


「やっぱり。どうしたの?」


歩み寄って来た人は、音無さんだった。

どうやら、今日はお店を早めに閉めたらしい。


「オーナー! そんな若い子に手を出すなんて、犯罪ですよ!」

「いや、これはっ……」

「戸締りは僕たちがちゃんとしておきますから! おつかれさまです!」


からかうお店のスタッフたちに手を振った音無さんは、困惑しながらも優しくわたしを促した。


「ええと……海音さん。ちょっと離れたところに、車を置いてるんだ。一緒に来てもらってもいいかな? もう遅いから、家まで送るよ。いまは、飛鷹くんのマンションにいるんだよね?」


今夜、あのマンションへ、もう一度戻る勇気はなかった。


「……い、いいですっ! あの、ごめんなさい。大丈夫なのでっ」


後退りするわたしに、音無さんはびっくりした顔になったけれど、「それなら、僕のうちに行こうか」と腕を捕まえられた。

お店から少し離れた駐車場に停めてあった車は、国産のSUVだった。


「ごめんね? 女の子には乗りづらくて。アウトドアに興味はないんだけど、荷物がいっぱい積めるから選んだんだよね」


車内はいたってシンプルで、カーナビもOFFになっている。
音無さんの運転は、料理がそうであるようにとても丁寧で、安心感がある。


「家は、ほんの十分で着くから。あ、コンビニに寄ってもいいかな?」

「……はい」


眩しいほどに明るいコンビニの前で車を停めると音無さんは素早く降りた。
店内に消えていく後ろ姿は、やっぱり姿勢がとてもよい。

ようやく涙も止まり、くしゃくしゃにしてしまったハンカチを鞄にしまう。


「お待たせ……っと、あ、ちょっと電話に出てくるね?」


ドアを開けた音無さんは、ビニール袋を後部座席に置くとジャケットの内側からスマートフォンを取り出し、画面を確認して再び外へ。

車から少し離れたところでしばらく話してから、戻って来た。

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