キミ観察日記
 さらってきた少女を迂闊に連れて回る誘拐犯なんて、そういない。

「あの、先生」
「はい」

 与一が男の腕を払いのけ、真剣な顔つきになる。

「今日、紅花に漢字を教えていたんです」
「もうそんな勉強を始めたのですね」

 男が水の入ったグラスを手に取る。

「やっと、です」
「人には、その人に合った成長のスピードがあります。漢字を覚えるのがたとえ大人になってからでも、なんら不思議なことではありません」
「僕は勘違いしていました。いいえ。すっかり、騙されていたのでしょうか」
「怖い顔しないでくださいよ」
「紅花に捜索願いが出されている様子はない。全国に情報提供を呼び掛けられていてもおかしくない頃なのに。虐待されていたなら敢えて放置されることも考えられますが」

 男は水を飲むと、グラスを置き、ポケットから取り出した煙草に火を灯した。
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