マツモト先生のこと―離島で先生になりました―

4月10日

 今日、あたしはちょっとした孤独を抱えてる。あたし、本日、誕生日なんですが……。

 子どもたちの協力があるとはいえ、授業は結局、悪戦苦闘。まだまだ下準備も甘い。下校の時刻は、とっくに過ぎた。子どもたちだけじゃなく、校長先生以外の先生たちも帰っちゃった。

 あたしは、来週用の週間指導案作りで四苦八苦。児童数がこんなに少ないってのに、教員の仕事量はハンパない。

 あーあ。これ、過去最低の誕生日かも。おめでとうもプレゼントもなしで、仕事山積み。

 まあ、赴任して十日の新人教師の誕生日なんてさ、ばっちり覚えてもらってるわけないのよね。

 ここにいるのは、おじさん先生おばさん先生やら、野生育ちの子どもたちやら。期待するほうが酷ってものかな。家族と友達からのメールだけで我慢するしかない。あたし、かわいそう。

 校長先生に「お先に失礼しまーす」なんてニコヤカに頭を下げて、ぺたんこ靴で校庭の土をふんづけながら、とぼとぼ校門を出る。あたしの家である教員住宅まで、徒歩三十秒。風情のない帰り道。

 と、そのとき。

「タカハシ先生」

 マツモト先生が立っていた。なぜいるの? てか、帰り道、ふさがないでよ。あたしは、常時ジャージの無愛想男をにらんだ。こっちは疲れてんのよ!

「なんでしょーかっ?」

 あたしは殺意的な目ヂカラを放ってやった。

 しかし、さすがマツモト先生、無神経だ。びくともしない。マイペースなもそもそトークで「お疲れさん」とか言う。いや、アナタがねぎらってくれなくてもいいから。わけわからん、この人。あたし、帰りたいんだけど。

 かなり焦れる。イライラ、イライラ。

 もう、ぶちキレちゃってもいいですかね? と思ったんだけど。

「今日、タカハシ先生、誕生日ですよね?」

 いきなり爆弾が落ちてきた。

「な、なんで知ってるんですか?」
「ケータイのメアド」

 ご明察、ごもっとも。というか、メアドとかいう言葉を使うのか、この人。イメージ違う。面食らう。

「タカハシ先生、この後、時間、空いとりますか?」

 爆弾、二発目。あたし、吹っ飛びかけてる。

「あ、ああ空いとりますけどっ」
「そぃやったら、うちに飯でも食いに来んですか? うちは実家で、せからしか妹のおるばってん、タカハシ先生一人で過ごすより、よかでしょ?」

 ずどーん。あたしの中で爆音がした。

 何なのよ、この人ー? ヤバいでしょ、それ。突然すぎるし! まずい。泣きそう。涙、出そう。

 あたしは言葉を失って、ただガクガクうなずいた。そしたら、マツモト先生は、にっこり笑った。

「今朝、クロば釣ったとです。さっき刺身にしたけん、うまかですよ。うちまで歩いて十五分くらいばってん、よかですか?」

 うなずくしかない。日焼けした笑顔が少年みたい。あー、もう、ヤバい!

 こんな日に限って、海はすっごく凪いでいて、空には一点の曇りもなくて、夕焼けの太陽は甘酸っぱく完熟している。海と空の間に、きらめきまくる水平線。地球って、丸いんだ。

 教材でパンパンのあたしのカバンをひょいと取って、マツモト先生は歩き出した。あたしは、一歩ぶん遅れて、ついていく。やわやわした潮風が、顔を撫でて過ぎる。あたしは深く息を吸う。

 潮の香りには、石鹸のにおいが混じっていた。
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