マツモト先生のこと―離島で先生になりました―

きらきら:大時化

 あたしが帰省する予定だったのは、二十七日。今日がその当日で、夕方のフェリーに乗る予定。

 クリスマスだった一昨日は、昼間、大掃除してた。夕方になって、マツモト家に晩ごはんにお呼ばれした。クリスマスプレゼントの代わりに、バターケーキを焼いて持って行った。焼きっぱなしの、ドライフルーツとチョコチップが入ってる、バターケーキ。

 すみません、手抜きです。だって、朝は頭痛かったんだもん。みごとに二日酔いしちゃってて。

 朝も昼も食べられなかったんだけど、そのぶん、夜はおなかいっぱいごちそうになった。この島は、お肉が高いし、鮮度もよくない。だから、クリスマスだろうが何だろうが、食卓に上るのは魚。

「これ、何ていう魚ですか?」
「カンパチ」
「こっちのは?」
「ヒラス」

 どっちも知らない。たぶん大きい魚。トロみたいな赤身じゃなくて、白っぽい身に脂が乗ってる。ハラミのぐりぐりっとしたとこが最高においしかった。

 マツモト先生は、相変わらず、意外にスィーツ系男子だった。黙々とケーキを食べて、「うまか」って目をきらきらさせてくれた。

 さて、そして帰省の日がやって来た。夕方のフェリーに乗ったら、本土に着くのは夜だ。今日のお迎えは、大学時代の友達。あたしの到着に合わせて集まってくれる。ファミレスからのカラオケでオールしよう! って感じで、大学時代に戻ったみたいな遊び方をする予定。

 だったのに。

「嘘ぉ~……」

 港に来て、唖然。待合所、閉鎖されてる。出入口に張り紙がある。

「外洋《がいよう》大《おお》時化《しけ》の為、全便欠航」

 確かに、湾内でさえ白波が立ってる。こんなんで外洋に出たら、それはそれは波が高いような気もする。

 でも。いくらなんでも。

「か、悲しすぎる……」

 ファミレスでガールズトークするはずだったのに。カラオケ、久々に歌いまくるつもりだったのに。おとうさんとおかあさんも待っててくれてるのに。実家のベッドで寝正月を過ごす計画だったのに。

 海のバカ野郎!

 あたしのジャケットのポケットで、ガラケーが呑気に着メロを鳴らした。今日一発目に歌おうと思ってた、お気に入りのJ-POP。メールの受信だ。スマホじゃないあたしのために、みんなメールくれるんだよね。lineじゃなくてね。

 メールを開封して、ますます悲しくなった。楽しみにしてるよ! みたいなテンション高いメール。返信しようかと思ったけど、寒くて指がかじかんでる。海風、強すぎ。体感温度が下がりまくってる。

 あたしは、待合所のドアに背中を預けて座り込んだ。送信者に電話をかける。

「もしもーし、あたしでーす。元気? あるわけないしー。あのね、今日、行けなくなった。体調? じゃなくてね、船がね。うん、そう、船。船が出なくて、島から脱出できないの。おーい、笑うなー。ほんと、泣くよ、あたし……」

 電話を切って、膝を抱えて、ため息をついた。

 寂しい。悲しい。切ない。

 昨日、渡っておけばよかった。学校の出勤の当番を引き受けたんだ。年長の先生たちに先に帰省してもらえるように、って。

 島の冬は風が強くて波が高い。北から来る寒流と季節風が、南からの暖流に激しくぶつかる季節だから。

 ってことを教えてくれたのは、この島で生まれ育ったマツモト先生。電線がビュオビュオ鳴ってて不気味だって愚痴を言ったとき、話してくれた。この時期だからおいしくなる魚もいるってことも聞かせてくれた。

 と、突然。

「タカハシ先生?」

 呼ばれて、あたしは顔を上げた。青いウィンドブレーカーに、白いランニングシューズ。走ってきましたと言わんばかりのスタイルで、この寒さの中、汗かいてる。

「マ、マツモト先生……」
「やっぱり、欠航のこと、知らんやったとですね」
「うぅ、知らんやったとです」
「このぶんやったら、二、三日は船が出らんって親父から連絡がありました。親父は今、漁で島の外に居るとですよ。年越しには戻れんやろうって言いよりました」

 つまり、それは、あたしも実家で年越しできないって意味?

「う、海のバカ野郎……」
「言うても、仕方なかでしょう」
「わかってますっ」
「その荷物ば持って、うちに来たらどげんですか?」
「……いいんですか?」
「むしろ、来てください。おれの兄弟たちも、こっちまで渡って来られんけん、正月用の魚が余るとが目に見えとるとです。タカハシ先生に食べてもらえるほうが助かる」

 そっか。海を渡りそびれたのは、あたしだけじゃないんだ。

 あたしが立ち上がったら、マツモト先生は荷物を持ってくれた。ふと疑問が湧いて、汗の伝う横顔を見上げてみる。

「マツモト先生って、何人兄弟でしたっけ?」
「七人です」
「で、このお正月は、おうちには何人?」
「おふくろと、妹のメーと、おれ」
「あたし、ご兄弟五人ぶんの魚なんて、食べれませんけど」
「ばってん、タカハシ先生は、刺身はけっこう食うし」
「そこまで大食いじゃない!」

 確かに、マツモト先生がさばいて作るお刺身、すごくおいしいけど。砂糖醤油と薬味に漬け込んだ「ヅケ」って食べ物も、止まらなくなるくらいおいしいけど。ヅケを白ごはんに乗っけて食べると、もはや壊滅的なくらいにおいしいけど。

 あ、ヤバ。これは完全にお正月太りするフラグ?

 マツモト先生は歩くのが速い。ときどき並んで歩く機会があったりすると、「速いな」って感じる。でも、それを言うのも、なんかちょっとイヤというか。ちょっと悔しいというか。

 で、あたしはいつも一生懸命、早足になってたんだけど、今日は違った。

「あぁ、そうやった」

 マツモト先生は、ぼそっと独り言を吐いて、足を緩めた。あたしはその隙に、マツモト先生の隣に並ぶ。並んだ後、あたしも足を緩めた。

「どうかしたんですか?」
「思い出したとです」
「え? 何を?」
「メーに叱られたこと。歩くのが速すぎる、っち言われたとです。すんません」

 マツモト先生は、頭をポリポリ掻いた。すなおな人だ。嬉しくなる。

「少し速くても、あたしは大丈夫なんですけど。でも、これくらいのペースなら、しゃべれていいですよね」

 マツモト先生は、ひとつ、うなずいた。

「覚えておきます。今、時間、よかですよね?」
「帰省の予定が消えたので、時間ありまくりです」
「じゃあ、教会ば見に行きませんか?」
「教会?」
「電気がついとるけん」

 電気? 言葉足らずな説明に、あたしは首をかしげた。



 教会は、港から見て、小学校とは反対側にある。普段は行かない方角。下手したら、春にショウマくんちの家庭訪問に行って以来かもしれない。

 海からいきなり山が生えてるみたいな、険しい土地柄。教会エリアは、特に急な崖が多い印象だ。

 高台に建つ教会を下から見上げて、マツモト先生の言葉の意味がわかった。

「イルミネーションだ……!」
「そう、それ」

 電気がついてるってだけじゃ、さすがに意味不明でしょ。マツモト先生らしいけど。

「クリスマス仕様ってことですか?」
「クリスマス、プラス正月です」
「近くまで行っていいんですか?」
「よかですよ」

 短くて急な坂道を上る。両サイドの山の木にも、電飾が光ってる。

 シンプルな飾りつけだった。橙色の電球、一色。白いマリア像と、瓦屋根の聖堂、白い十字架が、ほのかに優しく彩られてる。

「きれいですね」
「都会に比べたら、地味かでしょう?」
「あたしは、これくらいのほうが好きです」

 ささやかな飾りだからこそ、本物らしい。そう思った。派手で商業的なクリスマスじゃなくて、お祝いとしてのクリスマス。すごくステキだ。

 ビュウ、と音を立てて、風が吹き抜けた。襟元から忍び込む空気が冷たくて、あたしは首を縮めた。

「寒かとですか?」
「ちょっとだけ」
「連れ回して、すんません。帰りましょうか」

 マツモト先生は、足を踏み出して、立ち止まって、あたしを見て、そっぽを向いた。何だろ? と思ったら、あたしの前に右手が差し出された。

 大きな手。指が長い。関節が大きい。爪も大きくて、形がいい。厚みがあるのは、球技をするせい。

 どきっとした。その手の意味、わかりそうで、わかんない気がして。

「あの、マツモト先生……?」

 心臓が、どきどき、走り始めてる。どきどき、ばくばく、騒いでる。

「手、つないだら、少しは温かかでしょう」

 そろそろ迫ってきた夕闇が、マツモト先生の顔色を隠してる。ずるい。横顔、カッコいいよ。

 あたしは、ひとつ深呼吸した。それから、ゆっくりと左手を伸ばして、マツモト先生の右手を握った。

「温かい、ですね……」

 冷えすぎてるあたしの手を、マツモト先生は、ギュッと握り返してくれた。
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