君のキスが狂わせるから
 潔く、すがらない。
 それが粋というものだ。

 お互いに幸せになれる道が見えたら、そこへ素直に移行できるしなやかさがある人は美しいと思う。

 でも、私がもし深瀬くんと恋人だったら、これまでの恋人のように潔く引けるだろうか。

 アラフォーの女性に課せられた恋愛の美学を貫くのは、なかなか難しい。

***

 その後はその場で話す言葉も思いつかなくなり、私たちはお酒を飲みきったタイミングで店を出た。

 2月の夜はまだまだ寒く、息を吐くと空気が煙のように白くなって流れていく。
 私はコートをぎゅっと前で合わせて軽く背をかがめた。

「まだ風、結構冷たいね」

 笑いを誘うつもりで深瀬くんを見たけれど、彼は真っ直ぐな真剣な目で私を見ていた。

「深瀬…くん?」
「愛原さん。どうしたら俺を受け入れくれますか」
「え……」

(夢でも見てるのかな)

 これまでの人生で、こんな薔薇色の展開は一度もなかった。
 すぐには信じがたい。

「す、すぐには、決められないかな」
「時間が必要なら、待ちます。どれくらいの時間が必要ですか?」
「…っ、ええと…」

 これが若いということなんだろうか。
 想像以上にグイグイ来られて、戸惑うばかりだ。

「とりあえず1ヶ月待ちます。もちろん、その間にもアプローチはさせてもらいますけど」

 にこりと微笑むと、私の方へすっと身を寄せてくる。

「俺が嫌い……ではないですよね」
「う、うん。嫌いではないよ」
「なら抱きしめていいですか」

 その潤みそうな瞳が、傷ついた子犬のようで胸が締め付けられる。

(こんなの反則だ。もう私は深瀬くんにとっくに捕らえられてる。でも……彼女になるなんて、まるっきり自信がない)

 混乱で思考が乱れる。
 相手は目の保養にさせてもらっている超イケメンで、失恋で多少心が弱っていて……私に助けを求めてる。

 それを恋と言えるだろうか。
 私には判断がつかない。
< 36 / 66 >

この作品をシェア

pagetop