千の夜と奇跡の欠片(ひのみ りん短編集)
風の色
ボクサー。
それがおれの職業だ。

二十歳になったばかりのおれの唯一の特技であり仕事だが、逆をいえばそれ以外、何もできない人間だ。

子供の頃は体も弱く、そのことで親には毎日ひどく罵倒され否定された。
おまけに勉強と学校嫌いだったおれは登校すれば問題を起こし、荒れる一方だった。

そんなある日、ボクシングジムを見学する機会があった。
これだと思ったな。
思う存分ぶん殴って、試合にでれば金までもらえる。
こんなにいい話しはない。

のめり込みジムに通いつめ勝負を繰り返し、今は負けなし。
今度の試合に勝てば世界チャンピオンだ。

試合前の気分を高めているとき、訪ね人が現れた。
子供の頃に通っていたボクシングジムのトレーナーだった。
今は違うジムに所属している。

チャンピオンになるまでは黙っている約束だったが、トレーナーも病を患い伝えられなくなるかもしれないので訪ねてきた、と。

驚いているおれにトレーナーは続ける。

両親は十年前に亡くなっているが、両親は当時、治療法がない病にかかっていて寿命がなかったこと。

好かれて泣かれるよりは嫌われて忘れられた方が、子供の心が軽くなるのではと考えていたこと。

親に似て体が弱い子供になんとか体力をつけて欲しいと考え、また、親なしの子供だといじめられても立ち向かえる精神力を身につけさせたいと願い、ボクシングジムに見学に来たこと……。

あの子は勉強も好きではありませんから、と心配しながらも笑っていたと。

おれは黙って訊いていたが、無性に腹がたった。

それが本当なら、どこまで勝手な親だ。
自分たちの価値観だけ押しつけやがって。
試合前に精神を乱しやがって。
苛立つおれに、トレーナーは笑う。

「ボクシングを教えたのは、たしかにおれだが、愛情なんて見えんものさ」

おれは違った形だが愛されていた?
時間のない両親が要領の悪いおれをただすには、ああするしかなかったと?

ああ、面倒くせぇ。

試合当日。
リングに上がり、そしておれは勝った。

両親が眠る墓にチャンピオンベルトを置き線香をつけ、手を合わせる。

風が線香とベルト、おれに吹き付ける。

「風の色は見えないな。なあ、頼むから大事なことは見えない、なんて云うなよ」

おれは悪態をついたが気分は最高にスッキリしている。

師匠なんてのはジムのトレーナーだけだと思っていた。
なんなら、おれだけの力だけと思っていた。
しかし周囲から見えない力に支えられていたんだ。

「試合はひとりじゃできないもんな。すべてに教訓はある」

不器用な親から産まれた、おれ。
立派におれも不器用なまま成長したようだが、それも悪くない。

信じたくないが今まで最悪だと思っていた環境が最大のトレーニングで、長所と欠点を両親は知っていたわけだ。

まったく、とんでもねえ。

おれのただひとつの才能。
開花させてくれた人間に感謝しながら、これから先も幸運と不運、どちらを手繰り寄せてもおれは変わらず勝ち続ける。

それが最大の恩返しであり、これからも師匠だ。





『風の色』終わり
2022.1.23.
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