愛を贈りたいから〜これからもずっと〜
夏が来た。ジリジリと照り付ける太陽の光が、グラウンドの上の俺達を、容赦なく照り付ける。その陽の厳しさは、仙台でも神奈川でもそして、あの場所でも変わらない。


俺達野球選手にとっての夏、それは1つのキ-ワ-ドに直結している、「甲子園」だ。


高校の3年間、高校野球の聖地である「甲子園」を意識しない球児は1人もいないと言って、決して過言じゃない。例え自分の学校が、そんな舞台に手も届かないとしても、自分がその舞台に立つ力がないことを知っていても。


7月の声を聞けば、各地区の予選大会が始まり、俺達プロ野球選手の試合や練習の前の話題は、だんだんそのことが占める割合が増えて行く。俺の出身高校がどうした、俺の出身県の代表はここに決まった、そう言えば、俺の時はこうだった、エトセトラ、エトセトラ・・・。


ご存じの通り、甲子園大会は春の選抜大会と夏の選手権大会と年に2回ある。決して春の大会を軽んじるわけじゃないけど、でも甲子園と聞いて、俺達がまず思い浮かべるのは、あの暑くて厳しい太陽の下で行われる夏の大会なんだ。


その舞台に俺はお陰様で2回立てた。もっとも1年の時はチ-ムは優勝したが、俺は控え選手で出場機会がなかった。2年の時はレギュラ-となってベスト8。3年の時は地区大会ベスト4止まりで、甲子園には進めなかった。


「自分達が3年の時に、夏の大会に行きたかった。」


当時エ-スで、俺とバッテリ-を組んでいた沖田総一郎(おきたそういちろう)やキャプテンだった神尚人(じんひさと)達、当時の同級生達は、今でも会えばそんなことを言う。


甲子園に一度も出場出来ないまま卒業していく高校球児の方が圧倒的に多い。まして俺達は春の大会にも1度出場して、優勝している。何を贅沢なことを言われてしまうだろう。


だけど、自分達が3年生、主力の時に甲子園に行きたかったという思いは、やっぱり消えない。俺達の場合、自分達の上3年、下1年の代がみんな夏の大会に3年の時に出場を果たしてるから、余計に悔しさが募る。


その悔しさが、俺がその後も野球を続けてきた1つのモチベ-ションになっていることは、間違いない。


俺にとっての夏の陽は、誇らしくも甘酸っぱく、そしてほろ苦い。
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