同じ空の下~想い描いた2人の夢~
私は、女子日本プロ野球界を牽引するエースへと成長した。
プロ3年目、22歳になった年、短大を無事卒業し、パーソナルトレーナーとなり、ジムにそのまま働いていた春馬先輩からの正式にプロポーズを受けて、私達は結婚することになった。
と、同時に海外のプロリーグからオファーを受け、正直、不安もあったし、たくさん悩んだ。
けど、春馬先輩が、「俺がいるから何の心配もせず、野球に専念すればいい」と言って、ジムを辞めてくれて、一緒に渡米してくれることになったので、海外でプレイする決断をした。
それから10年、32歳になるまで私は海外のチームでプレイを続けた。
そして、日本に戻る決断をする。
翌年に控えた日本開催の世界大会に出場するためだ。
私はこれを引退試合にと考えていた。
引退してからのことなんて今は考えられないけど。
私はこの一年、みっちり練習をし、最高のコンディションに仕上げた。
春馬先輩は前にいたジムから戻ってきていいと言われていたので、復帰した。
私は1年間、日本の優勝だけを考え、皆と汗を流した。
そして、迎える大会当日、私達は必死にもがきながら、最後まで諦めず戦うことが出来た。
結果は、2位。優勝には一歩及ばなかったけど、後悔はしていない。
全力を出し切れたのだから。
私はそして、現役引退を表明した。
まだやれると惜しまれながら。
引退してから、しばらくした日、私は春馬先輩と一緒に母校の練習を見に行き、アドバイスしたりした。
そして、私達は、近く、ジュニアチームを成立したいねと話したりもしていた。
休みの日は2人で旅行したりと大切な夫婦の時間を過ごした。
私は監督や、コーチとして呼ばれることも多くて、嬉しいことに忙しくしていた。
そんな中でも春馬先輩は私を気遣い、私のサポートをずっと続けてくれた。
それからしばらくして、私達は念願叶えて、ジュニアチームを創設。
夫婦二人で頑張っている。
ジュニアチームも軌道に乗り始めた頃、私は子宝に恵まれた。
私と春馬先輩によく似た娘、息子
2人の子供に恵まれ、賑やかになった私達。
今は四人で幸せに仲良く暮らしています。
プロ3年目、22歳になった年、短大を無事卒業し、パーソナルトレーナーとなり、ジムにそのまま働いていた春馬先輩からの正式にプロポーズを受けて、私達は結婚することになった。
と、同時に海外のプロリーグからオファーを受け、正直、不安もあったし、たくさん悩んだ。
けど、春馬先輩が、「俺がいるから何の心配もせず、野球に専念すればいい」と言って、ジムを辞めてくれて、一緒に渡米してくれることになったので、海外でプレイする決断をした。
それから10年、32歳になるまで私は海外のチームでプレイを続けた。
そして、日本に戻る決断をする。
翌年に控えた日本開催の世界大会に出場するためだ。
私はこれを引退試合にと考えていた。
引退してからのことなんて今は考えられないけど。
私はこの一年、みっちり練習をし、最高のコンディションに仕上げた。
春馬先輩は前にいたジムから戻ってきていいと言われていたので、復帰した。
私は1年間、日本の優勝だけを考え、皆と汗を流した。
そして、迎える大会当日、私達は必死にもがきながら、最後まで諦めず戦うことが出来た。
結果は、2位。優勝には一歩及ばなかったけど、後悔はしていない。
全力を出し切れたのだから。
私はそして、現役引退を表明した。
まだやれると惜しまれながら。
引退してから、しばらくした日、私は春馬先輩と一緒に母校の練習を見に行き、アドバイスしたりした。
そして、私達は、近く、ジュニアチームを成立したいねと話したりもしていた。
休みの日は2人で旅行したりと大切な夫婦の時間を過ごした。
私は監督や、コーチとして呼ばれることも多くて、嬉しいことに忙しくしていた。
そんな中でも春馬先輩は私を気遣い、私のサポートをずっと続けてくれた。
それからしばらくして、私達は念願叶えて、ジュニアチームを創設。
夫婦二人で頑張っている。
ジュニアチームも軌道に乗り始めた頃、私は子宝に恵まれた。
私と春馬先輩によく似た娘、息子
2人の子供に恵まれ、賑やかになった私達。
今は四人で幸せに仲良く暮らしています。


