Sweetな彼、Bitterな彼女
蒼は、じっとわたしを見つめたまま、唇を引き結んで雪柳課長に挨拶すらしようとしない。


「こんなに素敵な上司がいたら、毎日職場に行くのが楽しそうですね?」


ミカの言葉に、雪柳課長は苦笑する。


「そんなことはない。黒田たち部下には、鬼と呼ばれてる」

「仕事では鬼だとしても、プライベートでは優しそうに見えますけど? 紅さんと二人、大人のお付き合いって感じで、憧れます」

「…………」


わたしが蒼と付き合っていることを知っているのだから、彼女の意図に、気づかないはずがない。
ちらりと雪柳課長の横顔を見上げたわたしは、端正な顏に黒い笑みが浮かぶのを見た。


「大人の付き合いか……。確かに、強がりで、素直になれない、不器用な年下の女を思う存分甘やかすのは、楽しい」


わたしの背を支えていたはずの手が腰に回る。


(か、課長……?)


「大人の余裕ですか?」

「ああ。獲物の周りをウロウロすることしかできない、子犬よりは余裕があるな」

「あっ! 紅さんっ!」


その場に流れる微妙な空気を破ったのは、店から出て来た緑川くんだった。


「おい、ミカ。蒼から、離れろよっ!」

「きゃっ! 何するのよ、竜」


蒼の腕から、無理やり彼女を引き剥がした緑川くんは、「すみません、お邪魔して」とぺこぺこ頭を下げる。


「気分悪くさせてすみません、紅さん。ほんと、こいつ性質悪くて」

黒い笑みを浮かべる雪柳課長は、緑川くんの言葉を否定しなかった。
それどころか、蒼を挑発するように宣言した。


「白崎、黒田は俺が送って行く。おまえは心おきなくその性悪女と仲良くやってろ。行くぞ」


雪柳課長はちょうど通りがかったタクシーを停め、わたしを押し込むと自分も乗り込んだ。

運転手に、わたしのマンションを経由して、自宅へ向かうよう告げる。
走り出したタクシーのバックミラーには、立ち尽くす蒼の姿が映っていた。


「……課長、なんであんな誤解を招くようなこと言ったんです?」

「あんな女にいいようにあしらわれて、悔しくないのか? いつもの調子でやり合えよ」

「いつもの調子って……わたしは課長のように喧嘩っ早くないです」


人あたりがいい方だとは、自分でも思っていないけれど、さきほどの雪柳課長のように啖呵を切るなんて、したことがない。


「俺には、いつも容赦なく言い返して来るくせに?」

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