"さよなら"には早すぎて、"はじめまして"には遅すぎる

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「ごめんね。長い間、待ってたでしょう?」

タオルで体を拭いている大洋に氷入りの麦茶を差し出す。

実を言うと、持ってきていた飲み物は飲み干してしまい、喉が乾いていた。琴音にはお見通しなのだ。


「元はと言えば、お前がいるからって鍵を持ち歩かなくなった俺のせいだろ。こういう日だってあるし、これからは持ち歩くから気にすんな」

一気に飲み干し、玄関を上がろうとすれば、腕を掴まれる。なんだ、と琴音を見やれば怯えたような目で見上げられた。


「………お前だって、ずっとこの家にいるわけじゃないだろう?」

「いるよ。ずっとここにいる」

駄々をこねる子供のように言う彼女が、不安になっているのは別のことなのだと気づいた。


「琴音」

名前を呼ばれ、琴音の肩がビクッと震える。


「さっき、近所に説明しているのと違うことをあいつには言おうとしただろ」

口を引き結び、大洋の腕を掴む力が強くなった。
それが肯定だ。

「俺はお前との"約束"を守った。だったら、琴音も俺との約束を守るだろう?」

大洋は苛立ちを隠すつもりで抑揚のない言い方をすると、彼女はより強く腕を掴み、帽子を被ったまま頭を大洋の腕に預け、暫く動かなかった。


大洋はじっと待ち続けた。

やがて、琴音は力を入れるのをやめて手を離した。

ただでさえ帽子で顔が見えないのに、俯いているせいでどんな表情をしているかは見えない。

見えなくてもどんな表情をしているか、大洋には分かっていた。

手を伸ばそうとしてグッと拳を作り、琴音を置いて自室へ向かった。

パタン、と遠くであの細長い扉が閉じる音がした。


一人になった琴音はポツリと、「洋ちゃんがいるから、言えなかったんじゃない」と言葉を溢した。

廊下にはポタポタと水滴が落ちていた。


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