溺愛婚約者と秘密の約束と甘い媚薬を
「お礼させてくださいっ!!」
「………え?」
「あの、助けてくれて傘をくれたお礼を………」
大きな声で呼び止めた風香の声は彼に届き、少し驚いた顔でこちらを見つめていた。彼の髪も顔も……全身が濡れているのに、彼は全く気にしない様子で、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
そして、風香の持っていた傘の中に、身を縮めて入ると男は、手で前髪をかき上げながらスーツの中からある物を取り出した。
「君を助けたのは仕事だけど……お礼は頂こうかな」
「…………あ………」
そう言って差し出してきたのは、彼の名刺だった。彼の手も受け取った風香の手も濡れているため、その紙も少し濡れてしまっていたが、風香はその名刺を大切に手に取った。
「………青海(おうみ)さん……警察………」
「そう。君の名前は?」
「風香………高緑風香です」
「風香さんね。何かお困りの事があったらすぐに連絡して下さいね」
「………あ………はい」
風香はその言葉を聞いて、少し胸が痛んだ。
自分は何を期待していたのだろう。彼は、仕事の一環で助けてくれただけなのだ。
名刺だって、ただ自分がお礼をしたいからと言ったからくれただけなのだろう。
風香は少し笑顔を曇らせたまま、「ありがとうございました」と、言おうとした。
すると、彼の濡れた顔が風香に近づいてきた。彼の髪からポトリと雫が落ちて、風香の肩にかかる。
「お礼、楽しみにしてます」
「っっ!」
青海は、そう言うと笑顔のまま風香から離れ、片手を上げて「じゃあっ」と声を上げながら颯爽と雨の中を去っていった。
まだ雨足が強い夕方の静かな道路。
青海から貰った傘と抱きしたままのバックをギュッと持ち直し、風香は名刺を見つめた。
「青海柊(おうみ しゅう)さん………」
風香はその言葉を口にした後、自分の体が熱くなるのを感じた。
「もう、風邪でもひいたかな………」
自分の気持ちを隠すようにそう呟きながら、風香は家の方へとゆっくりと歩き始めた。
家に帰ってからも、その名刺は大切なものとなった。
そして、その出会いは、全ての始まりだったのだ。
そう、本当に全ての……………。