溺愛婚約者と秘密の約束と甘い媚薬を




 「お礼させてくださいっ!!」
 「………え?」
 「あの、助けてくれて傘をくれたお礼を………」


 大きな声で呼び止めた風香の声は彼に届き、少し驚いた顔でこちらを見つめていた。彼の髪も顔も……全身が濡れているのに、彼は全く気にしない様子で、ゆっくりとこちらに歩いてきた。

 そして、風香の持っていた傘の中に、身を縮めて入ると男は、手で前髪をかき上げながらスーツの中からある物を取り出した。


 「君を助けたのは仕事だけど……お礼は頂こうかな」
 「…………あ………」


 そう言って差し出してきたのは、彼の名刺だった。彼の手も受け取った風香の手も濡れているため、その紙も少し濡れてしまっていたが、風香はその名刺を大切に手に取った。


 「………青海(おうみ)さん……警察………」
 「そう。君の名前は?」
 「風香………高緑風香です」
 「風香さんね。何かお困りの事があったらすぐに連絡して下さいね」
 「………あ………はい」


 風香はその言葉を聞いて、少し胸が痛んだ。
 自分は何を期待していたのだろう。彼は、仕事の一環で助けてくれただけなのだ。
 名刺だって、ただ自分がお礼をしたいからと言ったからくれただけなのだろう。
 風香は少し笑顔を曇らせたまま、「ありがとうございました」と、言おうとした。

 すると、彼の濡れた顔が風香に近づいてきた。彼の髪からポトリと雫が落ちて、風香の肩にかかる。


 「お礼、楽しみにしてます」
 「っっ!」


 青海は、そう言うと笑顔のまま風香から離れ、片手を上げて「じゃあっ」と声を上げながら颯爽と雨の中を去っていった。


 まだ雨足が強い夕方の静かな道路。
 青海から貰った傘と抱きしたままのバックをギュッと持ち直し、風香は名刺を見つめた。


 「青海柊(おうみ しゅう)さん………」


 風香はその言葉を口にした後、自分の体が熱くなるのを感じた。


 「もう、風邪でもひいたかな………」


 自分の気持ちを隠すようにそう呟きながら、風香は家の方へとゆっくりと歩き始めた。

 家に帰ってからも、その名刺は大切なものとなった。



 そして、その出会いは、全ての始まりだったのだ。
 そう、本当に全ての……………。




< 3 / 209 >

この作品をシェア

pagetop