転生人魚姫はごはんが食べたい!
 彼は一歩前に出るだけかと思えば、長い脚を交互に動かしたまま、止まることなくこちらへと進む。
 まっすぐに私の姿だけを目に映し、一直線に向かってくる。
 瞳は大きく見開かれ、誰よりも私の存在に驚愕しているようだった。 

 この距離でも声は聞こえるはずだけど、限界まで近付いてくれるつもりなのかしら?

 そんな風にのんびりと構えていた私だけれど、彼が躊躇わず海の中に足を踏み入れたことで疑問は驚きへと変わる。そしてやはり疑問は疑問のままだ。

「あの、海に入っているわよ?」

 えっと……この人は何をしているのかしら? あの、濡れてますよ?

「……ちょっと、ねえ! もうっ、聞いているの!?」

 押し寄せる波をかき分けるように進み、いよいよ私の元へと迫っている。
 腰まで海に浸かっている癖に、気にも留めようとしない。人間は服や靴が濡れることを煩わしく思うはずなのに、それよりも別のことに集中しているようだった。

「姫!」

 おそらく彼の目的は私。周囲を警戒している仲間たちにも緊張が広がっていた。手にした槍状の武器を構え、今にも彼を敵として排除しようとしている。彼も非道な人間と同じ。人魚を捕らえるつもりかもしれないと、そんな心配を抱いたのだろう。けれど私はまだ希望を捨てられない。

「待って。私は大丈夫だから」

 せっかく良い交渉相手が見つかったんですもの!

 それにまだ、この行動の真意を掴めていない。いざとなれば奥の手もあることは仲間たちも知っている。この力があるからこそ、私なら大丈夫だと説き伏せ人間との交渉を許されたのだから。

「そんなに人魚が珍しいのかしら」

 目前にまで迫られた私は少し低い位置にある青年の顔を見つめながら言った。人間としてなら彼の方が背は高いのだろうけれど、岩に座っている分、今は私の方が目線が高い。しかし彼の視線は私の鰭ではなく顔に固定されていた。
 彼が肯定も否定もせずに腕を伸ばしたことで仲間の敵意が私たちの肌を刺す。静まりかえった海で、波音だけがこの現実を見守っていた。
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