ノクターン

「俺、あの後一度 麻有ちゃんを見かけているんだ。」

デザートのチョコレートムースを一口食べた時、智くんは言った。
 
「えっ、嘘。いつ?」

私は驚きで、目が泳いでしまう。
 


「俺が大学に入った年の冬。友達とスキーに行って別荘に泊まったの。その時、麻有ちゃんの家の前通ったら たまたま麻有ちゃんが居たんだ。」
 
「うそ!全然知らなかった。私、何をしていたんだろう。」
 
「夕方で、学校の帰りみたいだったよ。お父さんの車から降りる所で。麻有ちゃん高校生っぽい制服着て、すごく可愛かったよ。」
 
「いやだ。恥ずかしい!すごい田舎娘だったわ、絶対。」
 
「そんな事ないって。細くて、目がクリクリ大きくて子供の頃の面影がそのままで。すぐに麻有ちゃんだってわかったよ。友達の車だったから声掛けなかったけど。」
 


「私、高校は上田市まで通っていて、冬は父が駅まで送り迎えしてくれたの。勉強ばかりしていて 全然おしゃれとか気にしてなかったわ。恥ずかしい。」

私は動揺して 上手な返事ができなかった。
 


「俺さ、麻有ちゃんの事はずっと覚えていたし、大切な思い出だったけど。あの時麻有ちゃんを見て また一緒にいたいって 本気で思ったんだ。」


智くんはまっすぐ私を見つめた。

私は熱い思いがこみ上げて抑えることができない。
 


「笑うかもしれないけど 一昨日麻有ちゃんに会った時、運命かもって思ったよ。急にこんなこと言って また麻有ちゃんを驚かせてしまうけど。俺、これからは麻有ちゃんとずっと一緒にいたいと思っている。付き合ってほしい。」


私の目から 涙が一筋流れた。
 

「ありがとう。信じられない。智くんは憧れだったから。夢見ているみたい。すごくうれしい。でも、少し時間を下さい。ごめんなさい、私 今付き合っている人がいるの。その人にちゃんと話すから。きちんとしてから 智くんと付き合いたい。」

私は涙を止めることができなかった。
 

「麻有ちゃん、話してくれてありがとう。麻有ちゃんの気持ちが切りかえられるまで待っているから。大丈夫だから泣かないで。」


智くんは、そっとハンカチを差し出す。
 

「ありがとう。ごめんね。」

こんな所で泣くなんて。私らしくない。

でもそんな風に 素直になれる私がうれしくもあった。

デザートの甘さと、エスプレッソの苦さは まるで私の心みたいだった。
 
 

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