ノクターン
「えっ。覚えているかな。」
そう言って ピアノの上の布を取り、蓋を開ける。
冷えた指を擦って暖めて 鍵盤に下ろす。
10何年も前に弾いた曲なのに。
ピアノなんて もう何年も弾いていないのに 意外と体は覚えていて 指がスムーズに動く。
子供でも弾けるように簡単にアレンジされたノクターンが、優しく二人の間を流れる。
色々な感情が溢れて。
色々な時間が浮かんできて。
智くんと 森の中、木の実を拾った事。
この庭で、二人でかくれんぼをした事。
中学時代、“ 麻有子。たかがクリーニング屋の娘なのに、なにをむきになって勉強しているの ” と、同級生に言われた事。
孤独で寂しかった時間。
指先が紡ぎ出す優しいメロディが、遠い日の記憶を次々と呼び戻す。
あの頃感じた焦燥感と、今の溢れだす幸せに 私の胸は かき乱され 涙で指が止まってしまう。
鍵盤に顔を伏せて泣き出す私を
「ありがとう。」
と言って 智くんは抱きしめてくれた。
「あれからこの曲大好きで。街角で流れていると、立ち止まって聞いたりしたよ。ずっと、麻有ちゃんの曲って思っていたんだ。ありがとう。」
泣きじゃくる私の背中を撫でながら 智くんは優しく言ってくれる。
「何度言っても足りないくらい 麻有ちゃんを愛してる。幸せになろうね。」
智くんは、そっと私にキスをした。