妖しな嫁入り
 驚いたか? 

 朧に囁かれた私は頭に血が上る。
  
 驚かないわけがないだろう。
 耳元で囁かれたことを考えれば、おおっぴらに聞かれてはならないのか。代わる代わる店を訪れる客は普通の人間のようだ。
 人の良い笑顔を浮かべた店主。先ほどまで信じて疑わなかった光景なのに。

「妖の拠点だが、さて。ここは俺の屋敷ではないな。どうする?」

 いくら私でも朧の言いたいことは伝わっていた。
 私の役目は妖を斬ること。そしてここは朧の屋敷ではない。危害を加えても約束を違えたことにならないと言いうのだ。
 髪に差した簪が揺れる。それは私の心情のように不安げだ。
 不安を和らげてくれる、唯一の支えはここにはない。けれどここに刀があったとして、私はどうしただろう。もちろん昼間から妖の存在をひけらかし騒ぎを起こそうとは思わないけれど。

 日が暮れたら?

 斬る。
 それが私の役目。
 でも本当に、私に斬れる?

 だって、笑ってる。客を前に笑う姿はどう見ても人間だ。
 現在店内にいる客は年頃の少女。私とは違い、代わる代わる簪を眺めては迷っている様子だった。その度に店主が助言を繰り返している。その着物に似合う品はと親身になって話しこんでいた。

「雨なのに人が途切れない」

 私が呟けば朧も店内に視線を戻す。

「ああ、繁盛している。店主は商売上手だな」

 ざあざあと鈍く雨の音が響く。いっそ私の迷いも洗い流してくれたなら……。

「私は……」

 雨は次第に強さを増し、まるで桶をひっくり返したようだ。不安げな私の言葉は簡単に掻き消されてしまう。

「雨が――」

 雨に負けないよう、はっきり口にすることで私の決意も決まっていた。

「今日は雨。どこかの誰かが何か呟いていたような気がするけれど、雨音のせいでよく聞こえなかった」

「そうか。雨とはじつに都合の良いものだ」

 朧の声は楽しげだ。まるで答えがわかっていたかのように驚きもしない。

「情けをかけたわけじゃない。私は何も聞いていない、から」

 まるで自分に言い聞かせるような言葉。そう、妖に情けをかけるはずがない。
 認めてしまえばもう、自分が自分でなくなってしまう。だからこれ以上は口を噤んだ。
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