妖しな嫁入り
 両腕を押さえつけられ、乱れた裾を踏まれ朧の下から逃れることが出来ない。手足を封じられ、そんな状況で朧を見上げているにもかかわらず、危険を認識していなかった。視線の先にいるのが朧でなければ今頃命は尽きているというのに。つまり私は、悔しいことに朧を安全だと認識しているのだ。

「俺がこの先に何を望むのか、わかるか?」

 見下ろされたままに問われている。答えなど決まっていた。

「わかるわけがない。お前は理解し難い」

「そんなことはない。男など単純だ」

 朧の瞳は闇の中でこそ輝く。その妖しい輝きは見る者を虜にするようで、危うく引き込まれてしまいそうになる。でも私は違う、そんなことにはならない。自由になる掌を握り、悔しさと理性を保つ。
 私にはここから抜け出す術がない。徐々に迫る朧の顔を見つめているだけだった。やがて唇が触れる――そう思った瞬間、妖と口付けるという屈辱より先に野菊の言葉を思い出す。

「駄目」

 綺麗な色だった。落ちてしまうのが勿体なくて、思いきり顔を逸らす。すでに風呂で落ちた後なんてことはすっかり忘れていた。
 朧は心底驚いた表情を浮かべ固まっている。

「……拒まれたのは初めてだ」

「誰に? 妖、それとも人?」

「両方だ」

 朧は妖と言われなければ人と見紛うばかりか、人間の中でも美しい。迫られれば拒む人間はいないだろう、そう自分で考えておきながらこの発言には心がざわついた。言い知れない気持ちが膨らみ……当然のように答えられ、しかも優越感たっぷりで妙に苛立った。

「呆れた」

 反撃しようと試みていた手足の力が抜ける。

「放して問題はない。奇襲は失敗した。今夜はもう狙わない、誓う」

 だが朧は動かない。

「……朧?」

「このまま俺の望むことをしても、欲しいものは得られないか……」

 何やら考え込む朧の顔は真剣だ。重なっていたはずの視線は気まずそうに逸らされている。

「何が欲しいの、それは私に望んでいること?」

「このまま体を奪ったとしても、心は手に入らないと、そう考えていた。俺は君の心が欲しい」

「私の心? そんなものに求めるほどの価値はない。こんな影のない女、日の光の下を歩けない女。何より、お前たちを狩ろうとしているのに」

「そうか? (おれ)には似合いだろう」
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