妖しな嫁入り
「椿様、そんなことを申し上げては朧様が悲しまれます。ですからこれは女と女の秘密にいたしましょう」

 悪戯っぽく微笑む野菊の表情、これもまた初めて見るものだ。屋敷にいるだけでは知れなかったこと。

「わかった。でも朧が悲しむとは思えないけど」

「あれで繊細な方ですもの」

「野菊は朧を良く知っている?」

「はい。ずっと、お仕えしていますから」

 聞けば藤代の次に長い付き合いだと言う。ならばと弱点についても訊いてみたが、参考になりそうなものは得られなかった。

 市を覗きながら朧のことを考えた。

 今頃どうしている?
 緋月とどんな話を?
 無事なの?

 きっと野菊が朧の話をしたから思い出してしまうのだ。朧を狩るのは私。だから無事に帰ってきてくれないと困る、それだけのこと。しまいには喧嘩別れのようになってしまった最後も気になり始め、こんなことならいつ戻ってくるのか藤代に聞いておけばよかった。
 たまらなく朧と見た月が恋しい。謝ろうと思う。謝って、あの時間をやり直したい。朧が帰ってきたなら、また酒を注ごう。そして――

「いい気なものだな影無し」

 身体が動かない。指一本でさえ、私の思い通りにならない。凍り付いたように体温が下がるのに胸だけは激しく音を立てる。

 どこから聞こえた?

 すれ違った?

 だとしたら、後ろ……

 私が立ち尽くしていたのは道の真ん中。緩慢な動作で背後を見るも異変はない。気のせい、だろうか……

「椿様、どうされました?」

 喧騒に紛れこませるように野菊が気遣ってくれる。
 ひとまず端へと移動する。建物と建物の間、そこは薄暗く野菊が変化を解いても問題はない。

「知り合いが、いたような気がして……」

「顔色がすぐれません。その知り合いとやらは、よほど怖ろしい相手なのですか?」

 固く握りしめた手に野菊が触れていた。私を安心させようとしているのだ。

「水を貰ってまいります」

「でも!」

「ここに隠れていれば大丈夫です。見つかることはありません。どうぞしばしこちらでお休み下さませ」


 あの瞬間、私は見つかったと思った。まるで見つかりたくなかったとでもいうように焦りを感じた。
 それはこの平穏が終わってほしくないと望んでいたから?

 いくら否定しようとも、私の不安と同じように空は暗くなってく。
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